思いこみと偏見3

 結局のところ片岡義男さんは、小生が最初に抱いたうさんくさいという印象を
小生が払拭できないうちに、どんどんとイメチェンが成功して、押しも押されも
しないメジャーな存在になってきたのでした。
 テディ片岡を知らずに、最初から片岡義男さんとのつき合い始めたファンは、
偏見にとらわれず幸せな出会いをしているともいえます。片岡さんから後には、
サブカルチュアというのが市民権を得ましたので、いろいろなジャンルがクロス
オーバーして、新しい書き手が登場してきたのでした。
 片岡さんといえば、アメリカのペーパーバックについての権威であるのでした。
ペイパーバックという言葉を、最初に意識したのは、ビートルズのヒット曲
「ペーパーバックライター」というものを通じてでありますが、これを聞いた
時にはペーパーバックというのがピンときませんでした。日本では文庫本と
か新書版というのがペパーバックとなるのですが、日本のこれらの文庫等は
きわめて教養主義的な色彩が強くて、ビートルズが歌っているライターとは
もちろんそんなに立派な作品の作者ではありません。
 小生が高校時代を送った町は、70年代中頃まで米軍が駐屯していました
ので、兵隊たちが残していったペーパーバックが、あちこちにおちていても
おかしくないのですが、小生は英語にあまり関心がありませんでしたので、
ほとんど小生の視界にははいってきませんでした。
 片岡義男さんが岩波「図書」に連載の文章の一回目 4月号はサブタイトルが
「ペイパーバックの山を作る子供」というものですが、書き出しは次のように
なります。
「太平洋戦争の大戦後の年に五歳だった僕がまだ六歳になる前から、自宅に
アメリアメリカのペイパーバック本が目立ち始めた。ふと気がつくと、家の
なかのあちこちに、ペイパーバックがあるのだった。占領アメリカ軍で仕事を
していた父親が、仕事の現場でいろんなひとたちからもらったものを、自宅に
持ち帰っていたからだ。」
 占領アメリカとの関係でペイパーバックに親しんだ人というのは、あちこちに
いるでしょうが、五歳からというのがとにかく凄いことでありますが、どこにも
片岡さんはペイパードックを読んでいたとはなくて、この本を積み上げて遊ぶ
ことで、これに親しんだとでておりました。
 そういう本とのであいもあったこと。