草森紳一さん追悼

 草森紳一さんの名前は、むかしから聞いたことがありましたが、小生はなんとなく
縁がなくて、草森さんの著書を購入したのは文春新書「本が崩れる」がはじめてで
あったと思います。なんとはなく、不摂生をしているような感じは、この著作からも
うかがうことができたのですが、それにしても、このように早くになくなるとは
思ってもみませんでした。

随筆 本が崩れる (文春新書)

随筆 本が崩れる (文春新書)

 本が崩れて、その下になって亡くなるというのは、本の虫と化した蔵書家が理想と
する死のありようであるかもしれませんが、そんなに本をため込んでどうするので
あるかなです。
「 この狼藉三昧への罰であるかのように、とめどなく本が異常繁殖しだした。
 蔵書狂の人を別とし、読書が趣味なら、こうまで増えない。『物書き』として、
 たしかに朝から晩まで、本を読んでいるものの、あくまでなにを書くべきかの
 イメージ資料として読んでいるのであって、読書人(趣味人)をやっていられ 
 なくなった結果の酸鼻なのである。・・・  
  資料調べは、それ自体が書くこと以上に楽しい。が、しばしば役にたつか
 どうかもわからぬ資料の入手のため、たえず破産寸前に追い込まれる。ひとたび 
 『歴史』という虚構の大海に棹をいれると、収入の七割がたは、本代に消える。
  異常に過ぎる。いっこうに古本屋の借金は減らない。『資料もの』をやりだした
 罰である。
  死んだ父は、息子の職業欄によほど困ったのか、『趣味で生活している』とした
 のを見て、唖然としたことがある。作家とか評論家としなかったのは正しいが、
 もはや趣味でもありえなくなっているのだ。」

 草森さんは、フリーライターというよりは、もうすこし学術的であったようで
ありますが、そうであっても、親にとってはもっときちんとしたところに勤めるように
して、いつまでもぶらぶらとしているなよということであったのでしょう。
 草森さんの増え続ける蔵書を「新しい住居にめぐらす本棚の中に背をみせて埋まる
分量の本以外は、田舎にみな待避させた。」とあります。草森さんは、たしか北海道は
帯広あたりの出身であったはずで、草森さんの十勝にある書庫の様子を見た記憶が
あります。これができたことで、草森さんの田舎は、とんでもない本がおかれることに
なったのですが、草森さんの死で、このコレクションは古書店への借金支払いのために
使われるのでありましょうか。