きまぐれな読書

 みすず書房の「大人の本棚」のなかには、まったくのオリジナル編集の一冊が
あります。富士川義之さんの「きまぐれな読書」(現代イギリス文学の魅力)と
いうのは、あちこちに書いてあったエッセイをまとめて、新刊としたものです。
 イギリス文学(小説)は、血沸き肉踊るというものではなく、地味な話が
たんたんと続いて、がまんくらべのような気分で読むという印象をもっていますが、
それはそれではまるものでありまして、イギリス小説が好きというのは、「わたしは
大人です。」というのと同義に思ってしまいます。
 「現代イギリス文学」というのが題名にはいっているのは、篠田一士さんの著書と
かぶるのですが、取り上げられたジャンルも共通していて、そのことも、この本を
好ましく思うことです。
 篠田一士さんの「現代イギリス文学」(垂水書房、その後小沢書店)の「旅行記
ついて」という一章には、イギリス文学は「旅行記は花ざかりの季節を迎えている
ようだ。」と書いて、次のようにあります。(1958年ころの書かれたもの)
 「ハクリット以来のイギリスの旅行家群の背景には世界に冠たるイギリス帝国
 主義の巧妙極まりない植民政策が厳といて横たわっているのである。
 イギリス文学がその光栄ある部分として旅行文学をもつことと、イギリス帝国の
 植民政策が他のヨーロッパ諸国の追従を許さぬことは決して無関係ではない。」

 富士川さんの「きまぐれな読書」にあるのは「旅行記は変わってきた」という
タイトルです。(初出は84年10月)
 「イギリスには文学的にすぐれた旅行記が多い。旅行記を書かなければ一人前と
 認められないという暗黙の了解でもあるかのように、作家たちは競って旅行記
 手を染める。・・自分たちが余暇に、あるいは本業の仕事で訪れた異国の土地での
 さまざまな経験を反芻し再構成し、それをもとにしてそれぞれの流儀で一個の
 作品を作り上げようとする。随筆や伝記や自伝と並んで、旅行記はイギリス散文の
 宝庫と言ってよいほどである。」

 旅行記がかわってきたのは、イギリス帝国が第二次大戦後に植民地を離したことと
関係があるようです。
 「それにしてもなぜ、いま、旅行記なのか。経済不況と失業にあえぐ厳しい現実
 世界からのつかの間の逃避、世界中の未知の場所のエキゾチックな魅力を求めて、
 などなど、さまざまな理由が指摘されている。だがそれ以上に、現代の旅行記作者は、
 以前にもまして未知の土地の発見よりもその保存に、すなわちこの地球上から遠か
 らず消滅することが予想される自然や文明の保存に強い関心を示しているように
 見える。」