読書の腕前 岡崎武志

 本日にやっとこさ「読書の腕前」岡崎武志 光文社新書を書店でみつけて入手しま
した。岡崎さんや読書関係のブログで話題となっていて、早々に増刷がきまったという
ニュースも承知しるいるのですが、先日に旅行にいった先で、大きな本屋をのぞいたとき
には、これがまったくみつかりませんでした。自分の町の本屋でもみつからずで、これは
売り切れたものか、それとも入荷していないのかと頭をひねるのでした。
 岡崎さんは57年生まれでありますから、小生よりも6学年ほど下でしょうか。
6年くらいというのは、小学校でかぶらないとうことでありますから、けっこう大きな
差であるといえるでしょう。そのむかしに、小生たちの世代は、日本の高度成長に
ともなってなくなったものをみたことのある最後の世代といわれたことがありました。
ものごころがついたときには、自宅にテレビがある家は少なかったし、こちらの冬は
寒いというのに、自宅には火鉢がどんとおかれていていたのでした。
 この「読書の腕前」をぱらぱらとななめ読みして、これはこちらに一日の長がありだな
と思ったのは、「国語の教科書は文学のアンソロジー」という章に関してです。
この章では、岡崎さんは、次のように書いています。
「 いま手元に当時の現国の教科書が一冊でも残っていたら、どんなに懐かしいだろう。
今回、この原稿をかくにあたって、高一のときに使っていた現国の教科書をとっておいて
いる者が、いないか高校の同級生数人に連絡してみたが、あいにくみな処分してしまった
ようだった。」
 岡崎さんが高校一年の時に使った教科書は、小生がつかったものとは違うようであり
ますが、ここにある文章などは、どこの教科書にあったものでしょうか。
 小生が使用した現代国語の教科書は、きわめて評判のたかい筑摩書房のものでありました。
国語教科書のねらいは文学教育をすることではないと、皮肉られていますが、後年になって
筑摩書房からの「高校生のための文章読本」を手にしたときの印象は、高校現代国語(筑摩
書房)の現代版であるなということでした。
 筑摩の教科書は、青、赤、黄の表紙であったでしょうか。小生は、この国語教科書を
いまだに持っております。もともと本を処分できないたちでありまして、そのために
残っているということは否定できませんが、やはりこのシリーズは特別でありました。
 この教科書については、小生だけでなくて、「森まゆみ」さんも残しているという
話を聞いておりました。彼女は、どこかで、この教科書との出会いのことを記している
ようでありますが、「森まゆみ」さんもこの教科書に学恩を感じているために残して
いるのでありましょう。