坐忘録(堀内正和)

 堀内正和さんという著名な彫刻家は、ユーモラスな文章を書く人でもありました。
 このかたには「坐忘録」という著書がありますが、このほんの帯には、
   ザっくばらん
   ボうじゃくぶじんの
   ウんちくを
   ロんよりしょうこ
   クらってごらん

 とありまして、これをみるだけでも、いたずら好きな人であるなと思うのでした。 
 晩年に近くなってテレビで堀内さんをとりあげた特集番組をやっていましたが、
そのなかでは、ウィスキーの空き箱をカットしては、抽象的な形をつくりだして
いたのが印象に残っています。
 このかたは、京都市芸大の教授をつとめていたのですが、そのときに教えた
学生のその後について、とてもいい文章を発表していて、これが本好きには
受けるのでした。この文章は、毎日新聞の夕刊「日記から」というコラムに
71年12月11日に掲載されたものです。タイトルは「手作り活字本」というもの
でした。

「 僕が教えた学生で、僕の教えた彫刻を作らず、出版事業に凝っている男がいる。
事業というと人聞きはいいが、気紛稀刊の非売雑誌と非売限定本専門だから、支出
若干の収入皆無。・・
 発行部数が少ないと、いうだけなら別に珍しくもないが、これらの出版物はどこにも
普通の活字が使っていない、そこがミソなのである。活字もさし絵も全部自分で彫って
自分で製本する。昔の木版本のように、1ページを1枚の版木に彫るのではなく、1字
1字別々に彫ったものを植字し、インクを塗り、紙をおいてバレンで刷り、予定枚数を
刷り上げると、活字をばらし洗って植え替えてまた刷る。活字彫りから製本まで全部
一人の手でやるのだから、これこそ正真正銘の手作り活字本、というわけ、なんとも
ごていねいな時代錯誤的道楽ではないか。
 僕の教えた学生のなかには、せっせと彫刻を作りせっせと発表してマスコミに乗り、
有名な芸術家になってやろうと頑張っている頼もしい若者もいれば、マスコミから
落っこちた蝙蝠みたいにさかさまにぶらさがりながら、役にもたたぬ活版を刷り刷り
ひとり悦に入っているこんな若年寄もいる。しかしそんな退嬰的な人間のほうがどうも
僕の教えた学生だという実感がするから妙だ。」 

 ほぼ全文を引用することになりました。いったい、この手作り活字本の制作を
しているかたは、どのような人なのかと気になりますが、このあとになって、
たしか雑誌「銀花」で紹介をされていたように思います。そのときは、京都芸大の
大学職員かになっていたように記憶していますが、いまでも、この制作は続いて
いるのでしょうか。
 ほとんど一般には流通していないはずですが、この私家版の評価はどうなって
いるのか気になりながら、今にいたっています。
 数年前に「堀内正和の世界」という回顧展があって、見物にいったのですが、
堀内さんというと、この手作り活字本のことを思い出すのでした。