古本屋歩き

 昔から古本屋歩きを趣味としていますが、その昔はけっこう
きびしい主人がいまして、学生であったときは、こちらを値踏みして
くるようなところがありました。ひやかしではいろうものなら、店番から
するどい視線とともに牽制球がとんできました。
 こちらががつがつとしていたせいもあるのでしょうが、何カ所かの
本屋でそういうことを経験しました。
 一番こりゃかなわんと思ったのは、神保町T書店の女主人であり
まして、この人はお客にきついと評判であったようですが、こことは
その後も距離をおくことになったのでした。(35年も昔のことです。)
 神保町にはほとんど学者さんのような学識をもつ主人があちこちにいた
のですが、どちらもそのようなそぶりが見えないのがよかったのでした。
とは、いってもほとんど言葉をかわすことはなかったのですが。
 東京では神保町よりも早稲田のほうが庶民的ではだがあいました。

 大阪の古本屋は、堺市に住む友人の案内で歩きました。梅田古書のまちが
できたころであったのでしょうか。友人はとんでもなく方向おんちであり
まして、地下街とか梅田は大の苦手でありまして、紀伊国屋書店から
古書のまちにたどり着くのに、やや時間を要したのです。
彼は小生のために、大阪南の古本や絵地図というのを作成してくれて、
いまもどこかに保存してあるはずです。ちょうど千日前デパートが火災と
なったころでありまして、その絵地図には千日前デパートが火をあげて
のっているのでした。なんけんか古くからの本やで印象に残るところが
ありましたが、天牛書店のご主人が店番をしているのを見ることができた
のが、今となっては最大の収穫です。(浄瑠璃できたえたのどであいさつを
するといわれたあの先代です。)
 神戸では黒木書店でしょうか。当時からジュンク堂なんてのはあったの
でしょうが、知名度は高くなかったですね。黒木書店は、どこにあったのか
三宮からアーケードのしたをどんどんと歩いていって、はずれのところに
ある小さなお店でありました。福永武彦も御用達の店ですが、ここの主人は
ふつうのおじいさんという感じでした。(そのときに、小生は26歳くらい
でしたから、おじさんであったのかもしれません。)
 福永がコレクションするときに黒木書店をつかっていたというのは、彼の
「枕頭の書」にありました。(福永の読書エッセイ集では、この枕頭の書が
おすすめです。)

 最近は、ネットのおかげで古本屋歩きをすることもなしに、目的の本が
昔よりも確実に入手できて、これはとっても楽ちんであるのですが、店番の
おやじとの丁々発止のやりとりができないのは残念なことです。こちらも
それでずいぶんと鍛えられたようにおもいますからして。
 古くからの友人たちと、ひさしぶりに集まる会があって、時間があるので
よった大学近くの古本やで、何十年もまえから気になっていた「馬淵美意子の
すべて」(求龍堂)なんての見つけるのは、古本屋歩きの醍醐味であります。