休憩時間に読んでいた本

本日は地元高校吹奏楽部の定期演奏会(卒業公演)を見物に
いってきました。一日2回公演ですが1600席 が各回ともに
満席になるという人気イベントです。当方も、高校生の元気を
もらいにきた中高年のファンの一人でした。

 本日のコンサートの休憩時間には「書評家 狐の読書遺産」と
いう文春新書を読んでおりました。著者は山村修さんという青山
学院の図書館司書をしていたかたですが、そのかたわら20数年に
わたり「狐」というネームで書評を続けていました。もともとは
日刊現代かで始めたものですが、まとまったものはちくま文庫
なったりして、この人はだれでありましょうかと話題になっていた
のです。狐さんの正体は知っている人はしっていたのでありましょうが、
小生はまったく知らずでした。
 昨年にそれまで勤務していた青山学院を早期退職して、文筆家と
して世にでることになったのですが、まもなく以前からの肺ガンが
悪化して、昨年8月に亡くなりました。昭和25年うまれとあります
ので、小生と同学年でありましょうか。
 このように隠れているというのは、ひとつの生き方でありますよね。
最近は、とにかく目立つということがもてはやされますが、どうも
目立とうという人にはいやな人が多いようにも思います。

 このひとの文章ははったりがないのでよろしいと思うのでした。
この新書におさめられたものは、03年8月から亡くなる直前の06年
6月まで「文学界」に連載された「文庫本を求めて」をまとめたものだ
そうです。文庫本2冊をとりあげるのですが、ある月には、「花と龍」
火野葦平と「わたしの修行時代」コレットをならべます。このふたつを
つなぐ見出しは、「良識と軋みの音をたてる」となっています。
これはすごい見立てでありますね。
 コレットについては、篠田一士の文章が引用されていました。
篠田がコレットについて書いているなんて、まったくおぼえておりません。
小生ももっている「ヨーロッパの批評言語」のなかになるのですね。
 「コレットプルーストよりも難解です。」と篠田はいっているそうです。
篠田のものは読んでも、コレットのものはこれからも読むことはないでしょうな。
 山村さんは篠田のものが好みなようで、このほかでも、「三田の詩人たち」を
とりあげていて、小生を喜ばせたのであります。
 本の選び方と目のつけどころがとってもよろしくて、亡くなったことが
まことに惜しまれることです。