月が変わって 2

 「みすず」5月号が届いています。ほとんどすべてが連載ものからなりますが、
一番長く連載されていますのは、外岡秀俊さんの「傍観者からの手紙」となります。
この5月号で122回とありますので、十年以上にわたって連載されています。
 それに次いで長い連載となっているのが小沢信男さんの「賛々語々」57回です。
小沢さんの今回のタイトルは「光る蛍や」となります。今回の冒頭のところをすこ
し引用です。
「 うつす手に光る蛍や指のまた  太祇 
 文京区のホテル椿山荘では、ほたるの夕べが、今年も5月下旬からはじまる。
あの神田川べりの庭園の、ほたる沢では源氏蛍が自生してもいるというからたのも
しい。ただしちかごろは押しよせるご見物衆が、飛びかう蛍よりも多勢だとか。
 そういう奇特な名所へ出向かねば、蛍には出会えないこんにちです。」
 当方は子どものころ農村地帯で生活をしていました。今から60年ほど前の話と
なりますが、小沢さんは上の引用に続いて「そもそも人里のそこらの水辺で、ピカ
ピカ自在に飛びかっていた。だからこそ詩歌俗謡にさんざんうたわれてきた。」と
書いているのですが、田舎で暮らしていた人ほど蛍を見る機会がなく成長している
かもしれません。
 当方に関していえば、子どものころに蛍を見た記憶はあるのですが、住んでいた
ところの水辺のあちこちで見たという記憶はなく、どんどんと見なくなっている
という記憶が残っています。
小学校低学年の頃に、学校で近くの小川は農薬が流れ込んでいるので、川に入って
遊ばないようにと言われたように思います。小川は水田用の用水をとって、水田で
余った水は小川に排水されていたものです。きっとその時代に問題となるような
事象があったからでしょう。村の学校にはもちろんプールなどはなく、子どもたち
は川遊びを通じて泳ぎを覚えたりしたものです。当方がこの年になるまで泳ぐこと
ができないのは、近所にあった川が汚染されていたせいであると、言っているので
すが、これには説得力がありません。
 近年は、当方の住む近くでも蛍が見られるとメディアに取り上げられたりしまし
たが、これは蛍の孵化をして、商品として販売するところがあるためでして、数年
前にこの場に足を運んで、自然の中で蛍を見物したのは、実に数十年ぶりのことで
ありました。