「友の会」つながり 2

 友の会というのは、もともとつながっているものでありますが、当方が話題にしたい
と思っていたのは、「ロラン友の会」ではありませんです。
 最近手にした「本の雑誌」8月号 津野海太郎さんの文章にあった次のところに反応
したのであります。
全共闘世代の人たちなら、羽仁の名をきくと、1968年にでてベストセラーになった
『都市の論理』をまず思いだすだろう。・・・・
 かれは桐生の大きな織物問屋の息子ですが、長じて『婦人之友』の羽仁もと子女史の
娘と結婚し羽仁姓となる。じつは私の母がその『婦人之友』のねっしんな読者だったん
です。そのせいもあって、いつのまにか桐生ときくと羽仁五郎の名を思い浮かべる習性
が身についてしまった。」
 当方が反応したのは、このなかで「私の母がその『婦人之友』のねっしんな読者」と
いっているところであります。そのせいでしょうか、文中で羽仁五郎と表記しています
のに、その義母については羽仁もと子女史としていますので、これはお母様の影響であ
りましょうか。たぶん、津野さんのお母様でありましたらミセス羽仁といっていたので
はないでしょうか。
 「婦人之友」の読者会は全国に展開していまして、いまでも活発に活動をしています。
羽仁もと子女史は、元祖 教育ママのお一人でありまして、娘に教育をほどこすために
学校までつくってしまった人です。これはもちろん自由学園でありまして、『婦人之友
の熱心な読者は、子どもさんを自由学園に通わせたりしているのでした。
 この『婦人之友』読者会のことを「友の会」というのでありました。この「友の会」
というのはかなりの頻度で定期的な集まりを行いまして、家事家計のお勉強を行うの
ですが、友の会の子どもたちはいやおうなしに、この集まりに連れていかれるのであり
ました。(津野海太郎さんのときもそうであったでしょうか。)
 母が「友の会」というつながりをたどってみたら、興味あるつながりがでてはこない
だろうかと思っています。いま思いつく一人は、立花隆さんであります。以前にどこか
からでていた雑誌に自伝的な文章がありまして、そこでお母様が「友の会」と書いて
いました。(たぶん、文春からでていたムック)
 それから坂本龍一さんも「幼児生活団」出身とありましたので、お母様は「友の会」
でありましょうか。
 立花隆坂本龍一とならべますと、子どものころから利発であっていかにも英才と
いう雰囲気でありますが、津野海太郎さんは、今の風貌からはそういう印象を受ける
ことはありませんですね。