カズミさんつながり 3

 八木義徳さんの著作は、ブックオフ田村義也さんのおかげで身近なものとなって、
主要な作品については、すぐに手にすることができるようになっています。それと
くらべると、野口富士男さんは、お名前は聞いた事があったものの、主要な作品も
なにも手にしたことがなくて、小生にはほとんど未知の作家といえるでしょう。
このように少数ではありますが熱心な読者を持つ作家が、大きく取り上げられるが、
ネット世界の光の部分でありまして、マイノリティがメジャーとなる世界が、そこには
あります。
 八木義徳さんを取り巻くもうひとりのカズミさんは、作家の佐伯一麦さんであります。
佐伯さんが書いたものを見ますと、出会いは野口富士男さんよりも八木義徳さんのほうが
先であるようです。
八木義徳全集の月報8(平成2年10月)に、佐伯一麦さんは「八木さんに選んで
いただいた処女作」という文章を寄せています。

「私が八木さんの小説に初めて接したのは、上京して間もない、十八の頃だった。
中野に近い新井薬師前のアパートに住み、書店の夜間アルバイトをしていた私は、
昼間は、中野サンプラザ内の図書館で過ごすのを日課にしていた。ある日そこで
手にした一冊の本『風祭」によって、私は八木文学に目を見開かされた。・・
そこに描かれている『人生』というもののとば口にたっている十八の自分を強く意識
させられた。そして、無性に、批評の言葉では捉えきれない、小説が書きたい、と
思った。
 それまでは、漠然と一番愛読していた武田泰淳について、日々の労働の傍ら自分
なりの論をいつかまとめることができれば、というのが、私の文学に対する関わり方
だった。
それが、小説の実作者になる、という可能性を抱かされたのが、八木さんの小説であり、
また、同じ頃に読んだ中上健次氏の小説だった。」 
 八木さんが選者をつとめるということと、賞金があるということに魅力を感じて、
高校時代に書いた三十枚ほどの習作を推敲して「かわさき文学賞」に応募し、この作
品が第一席となったのが、佐伯さんにとっての文学的出発とあります。当時佐伯さんは、
若干24歳で、この時の授章式を欠席したことで、八木さんとはじめてお目にかかった
のは、その4年後の昭和62年とあります。名門高校から普通とは違った道にあゆみ
始めた少年の道しるべとなったのは、八木義徳さんでありましたか。