小沢書店「poetica」のこと4

 季刊「湯川」から話題は小沢書店「poetica]」へとうつり、この二誌の間を
うろうろとしているのですが、本日手にしている「poetica」第3号の富士川英郎
特集をみておりましたら、なんとまた、紹介するにおあつらえ向きの文章がのって
おりました。
 富士川英郎さんは、専門はドイツ文学のようでありますが、小沢書店からでている
著作のタイトルをみると「江戸文学」「儒者の随筆」、父親である医史学の創始者
富士川ゆう」についてのものなど多岐にわたり、スケールの大きな文学者であった
ことがうかがえます。富士川さんの三代について、小説家の中野孝次さんは、次の
ように書いています。
「 わたしは以前ものを書く必要から富士川ゆう『日本疾病史』を参照して、この
名著の著者が富士川英郎さんの父君であるのを知った。またその子息で英文学者の
富士川義之君とは一時同じ大学に勤務していたので、こっちはよく知っている。
わたしは父子であれ人間は一人ひとり違うと考えるので特に英郎氏のことを尋ねた
ことはないが、奇しくも富士川家三代をわたしは知ったことになる。文人の血脈と
いうのものがあるのかもしれない。」

 この富士川英郎さんが、湯川書房とも関わりがあったことを神田孝夫(比較文学
さんが記しています。
「 富士川氏に新たな著書の出版を勧める人は、小沢書店主ばかりではない。他にも
あった。大阪で湯川七二倶楽部という組織を主宰する、一種の好事家、趣味人で、
その倶楽部では、次回は何を上梓するかを決めて実行に移し、会員にだけわかつ
仕組みとなっているとは、のちに富士川氏から聞かされたところであるが、そういう
変わった趣味人の仕事であるから、その本はよほど凝った贅沢な作りで、限定百部、
定価は勿論ついていない。わたしは実は、これも一部頂戴して所持しているが、その
湯川七二倶楽部から、富士川氏の著書として刊行された本というのは題して『本と
わたし』という。・・・」

 この本は、先日に「仙台が親戚」様が、掲載してくれた湯川刊行本リストにあり
ました、次の本のことでありますね。
  6、「本と私」富士川英郎 限定100部220×140
     表紙、函 望月通陽による型染布装 著者 墨書署名 1989.1.15
 七二倶楽部というのですから、会員は七二人ほどで、百部作っていくらからの残りが
著者にまわり、それのなかから知友人に配られたのでありましょう。この倶楽部の本は
番号ではなく、木へんの文字をいれることで番号にかわる管理をしたといいますが、
どのような文字が採用されていたのでしょう。椿とか榎とか柊なんて文字はあったので
ありましょうか。