「花森安治装釘集成」

 昨日に引き続き「花森安治」さんについてであります。
先月に文春文庫新刊としてでた小林信彦さんの「本音を申せば10」を見ておりました
ら、次のようにありです。

花森安治の名をきいて、ぴんとくる人は少なくなっているのではないかと思う。
津野海太郎氏は労作『滑稽な巨人』のほかに、『ジェームズ・ロビンスが死んだ』、
『したくないことはしない 植草甚一の青春』、『花森安治伝』の三冊の伝記を買い
た。・・・花森安治については、新潮社らしくない装幀に惹かれた。
 花森安治の名はその仕事より、<パーマをかけた怪人>というイメージで有名だっ
た。おそらく、妻は『暮しの手帖』を読んでいたのだろう、結婚して葉山に住むと、
アラジンの<ブルーフレーム>のストーブを買った。
これは非常に具合が良くて、のちにもう一つ買ったと思う。
 神戸生れのモダンボーイで、松江の旧制高校を卒業した花森の歩みは『花森安治
伝』にくわしいが、ぼくが心を惹かれたのは<松江への思い>にもある。」
 上に引用したのは、2013年12月12日の週刊文春掲載のものよりです。
 この時とくらべますと、花森安治さんという人がいたということは知られるように
なっていますが、すくなくともご本人はテレビ画面で見るようにスマートな人では
ありませんでした。
 小林信彦さんが花森さんの名前をあげているのは、「小さな雑誌の編集をした時に、
江戸川乱歩が『この二人に会いなさい』」といわれ、そこに花森さんの名前がないの
で、「花森安治にあわなくて、いいのだろうか?」と思ったとあることにかかわって
です。乱歩が「会いなさい」といった二人は、池島信平扇谷正造さんでありました。
かっては超有名な編集者でありますが、それこそお二人の名前をあげてもぴんとくる
人は少なくなっているでしょう。
 この小林信彦さんは「池島、扇谷、花森の三人はNHKラジオで人気番組を持ってい
て、いわばジャーナリズムのお目付役といった感じだった。」と記しています。
 そして松江でありますね。花森さんと大橋鎮子さんをむすびつけたのは、田所太郎
さんでありますが、花森さんと田所さんは、旧制松江高校で一緒であったわけです。
たまたまわが家にあった(母の本であったようです。)「暮しの手帖」には「水の
町 日本紀行その4 松江」という文章が掲載されていました。



暮しの手帖」で松江についてでありますからして、署名はありませんが、花森さん
によるものでしょう。
松江時代の花森さんが、どのような学生であったかを知るために参考となるのは、みず
のわ出版の「花森安治装釘集成」であるのですね。
これについては、明日に続くでありますが、本日当方のところに届きました「みすず
アンケート」を開いてみましたら、ここに「花森安治装釘集成」をあげている方があ
り。これはみずのわさんも喜ぶでしょう。(あげているのは外岡秀俊さん。)