明治17年に生まれ、まもなく北海道に渡った人のことを調べています。
明治17年生まれというと当方の祖父と同年生まれでありますが、祖父の
ことではありません。祖父は明治29年に北海道に渡り、家庭をもって35歳で
亡くなってしまうのですが、いったいどういう育ち方をしたのかは、まるで
わかっておりません。
その時代の人で、記録が残っているといえば、自分で書き残しているか、
そうでなければ著名人となって、評伝などが残ったかのいずれかでありま
す。当方の祖父の場合には、そのどちらもないし、若くして亡くなりましたの
で、たぶん寺の過去帳くらいしか記録はないことでしょう。いったいどのよう
な人物であったのかと思うことです。(小学校の学籍が保存されるように
なったのは、明治33年以降の卒業に限られ、明治17年生まれは学校にも
記録は残っていません。たまに例外はあるようですが。)
今回調べている人は、成長してから立身出世を果たして、著名人となった
ことから、ウィキペディアにも項目がたっているのですが、どちらかというと
出世してからの経歴が中心で、当時の小学校から中学校などについては、
まるで見えてきません。
こういう時には、すこしでも経歴が明らかになっている人を横に置くしか
ないですね。
小沢信男さん「裸の大将一代記」の「あとがき」を見ていましたら、次の
ような記述が目に入りました。
「ここ十数年、私は人物評伝のたぐいをいくつか、短編に綴ってきた。その
なかに『深沢七郎論』があり、この旧作を手直しするべく、山下清という補助
線を加えることをおもいついた。これが発端だった。着手すると、補助線がみ
るみるふくらんでくるではないか。結果は、山下清を描きあげるための補助線
に深沢七郎がなってしまった。」
深沢七郎の補助線に山下清をというのは、どうしてであったのか、わかって
おりません。なんとなく甲州つながりのようにも思えるのですが、小沢さんは
本文で、このことに言及していただろうか。(追記 これについては、当方の過
去記事で言及していました。深沢七郎さんの逃亡、放浪に、山下清さんの放
浪を重ねてみようかということであるようです。どのような人の支えがあって、
その生活が成り立っていったのかというようなこと)
本日にたまたま図書館で手にした鹿島茂さんの本には、次のような記述があり
ました。
「ここでは、明治20年前後に生まれた少年たちが直面した『貧乏と中学校進学』
の問題についてもう少し語っておこう。というのも、これは菊池寛一人の運命では
なく、貧乏士族という下層中産階級の家庭に生まれた少年すべての共同体験
だったからである。
サンプルとして、明治22年1月18日生まれで、明治21年12月26日生まれの菊
池寛と同学年に当たる石原莞爾を挙げてみよう。」
それじゃ明治17年生まれで、補助線となる人はと思いましたら、エリート中の
エリートとして、前田多聞(もちろん、神谷美恵子さんの父上)があがってきまし
た。どこかで、明治17年生まれの二人はクロスするでしょうか。

