初荷が届いてました

 今年は年明けから購書が順調でありまして、皆川博子さんの最新作品集

に続いては、ブックオフでやはり皆川さんの作品を安価で何冊か入手するこ

とができました。皆川さんは作品数が多いので、すこしくらい入手したとして

もまだまだでありますが、あとは読むだけであります。

 元旦の朝に、年賀状かわりに版元に直接注文のはがきをおくりました。

その本が先日に宅配で届きました。たぶん版元にとっては初荷でありまし

て、初荷とののぼりはついていませんが、縁起物でありますね。(大手通販

サイトはお休みもなしで、業務をやっていますので、初荷なんて習慣はない

のでありましょう。)

 届いたのは、次の二冊であります。

 どちらも編集工房ノアの本となります。左は島京子さん、右は永瀬清子さんの

もので、どちらも前世紀末にでていて、やっとこさで入手することになりました。

島さんの「竹林童子失せにけり」は、富士正晴さんについて書いたもので、これ

は購入済で、未読と思っていたのですが、どうやら購入していないということが

わかりまして、遅れ馳せで購入しました。

 昨年9月に届きましたノアの「海鳴り38号」には、島京子さんを追悼する山田

稔さんと涸沢純平さんの文章が掲載されていました。

 山田さんの文章は終わってからの付記に、次のようにあります。

「『竹林童子失せにけり』は新潮の1988年7月号に一挙掲載された。岩波から

全五巻の作品集がでたのとほぼ同時である。なおこの小説は、そのとき富士が

着ていたセーターの色、顔の表情などの細部にいたるまで『実録富士正晴』と

いってよく、私も教えられるところが多かった。」

 山田稔さんが教えられるところが多かったというのでありますので、これは

富士正晴さんに関心をもっている人には、必携本となることです。

 ということで、これが届きましたら早速に「竹林童子は失せにけり」を読んだか

といえばさにあらずでありまして、「何のことはない」という島さんが自分の父に

ついて書いた作品を、まずは読んでみました。

 島さんの父親は漢学者であったとのことです。明治4年生まれだそうです。

「幼少のころから素読で鍛錬し、漢詩文を自在に操る男ではあったが、頼みと

する哲学は、五経のうち易経の繋辞伝で、伝が説くところの陰と陽(剛と柔、

乾と坤)の対立と統一という陰陽二元論であった。」

 父親は二十代半ばに内務省に入ったとありますが、そこをやめてからは

国粋主義者として小刊行物を出したり、講演などをして生活費を稼いだと

あります。

 それでも生活はひどくたいへんで、「子供の私たちも、よく馬陵から手紙を

持たされ、顔見知りの人や、見知らぬ人の家に行った。借金のためである。」と

あります。

 それでいて、「訪客ばかりでなく、この気まぐれ貧家といってよい家に、食客

が絶えぬのがふしぎであった。家をまた移り、次第に逼迫が増してくるごとに、

食客もまた奇態と思える風体の人がふえる。」のだそうです。

 なんともはやでありますが、明治になるまでは漢学者というのは、知識人の

最たるものでありましたが、明治以降においては、私塾といっても生徒も集まら

ずでありましたでしょう。

 漢学を教える家に生まれた中島敦には、「斗南先生」という作品があります

が、明治以降の儒学者といえば時代の流れに乗れないという印象をもちます

が、島さんの父 馬陵先生は、国粋主義者として昭和を生きていたのですが、

金にはあまり縁がなかったようであります。