95歳のポルトレ

 9月から11月にかけては、北海道立美術館での「長谷川兄弟展」それに

京都での「ノアの50年」展示とトークイベントなどがありまして、話題にこと

欠かずであります。

 そんなこともあって、ただいま新聞で連載中の「語る 人生の贈り物」の

津野海太郎さんのことについて言及することもなしでありました。津野さんは

もちろん長谷川四郎さんと深いつながりでありますし、ノアにもつながってい

ないこともなしです。

 「ノアの50年」のトークイベントの会場には、小説家、評論家の黒川創さん

がいらしていましたが、黒川さんは編集グループSUREのメンバーでありま

して、今回のトークイベントは、SUREから刊行される山田稔さんと黒川創

さんがメインの対話からなる「文学と夢想」のお披露目という感じもありま

した。(この「文学と夢想」は今年の3月15日に行われた対話を収録したもの

ですが、この対話にはノアの涸沢さん、それに荒井とみよさんも参加していま

す。)

 山田稔さんは1930年9月17日がお誕生日でありますので、あしたが95歳

の誕生日となります。95歳とはすごいことでありまして、当方もあと20年は元

気でいなくてはと思うことです。

 「95歳のポルトレ」というと、このタイミングでは山田稔さんとなりそうです

が、すでに13年もまえにこの書名で本がでておりました。それも黒川創さんが

からんでのものでありますが、13年前に95歳であったのは、日高六郎さんで

ありました。

 この本は、なんとなく編集グループSUREの本のようでもありますが、SURE

ではなくて、今はなき新宿書房が版元となっていました。

 今では、ほとんど話題になることもなくなった日高六郎さんであります。もともと

は東大の先生でありましたが、大学闘争の時代に大学をやめて、それからは脱走

兵の支援とかベ平連などの運動にかかわったあと、フランスに渡って長く暮らす

ことになりました。日本では精華短大で教鞭をとったりしましたが、岩波新書にも

何冊かの著作があって、当方の世代には良く知られた人でありました。

 「95歳のポルトレ」は刊行となった時に話題になったこともあって、購入して

いたのですが、さっぱり読めていなくて、山田稔さんが95歳というのであれば、

その前に、日高六郎さんの95歳の本があったではないかとあわてて取り出し

てきました。

 黒川創さんは、当方よりも10歳ほど下ですが、子ども頃から父親の後ろに

ついていろんな活動の場に出入りしていたことで、それこそ活動家二世のよう

な生い立ちをしています。

 「95歳のポルトレ」には、次のようにあります。

「その人の名前は、たしか、父の知人のひとりとして、早くに知っていた。また

中学・高校生のころアルバイトをしていた京都の学生街の喫茶店で、この人

が客として妻同伴でやってくる姿を、しばしば見かけてもいただろう。」

 中学生で喫茶店のアルバイトというのは、破格でありますが、その父親のこ

とを思うと不思議でもなんでもないか。

 黒川さんの父親についてはSUREからも本がでていますが、当方は1981年

に刊行となった本を求めておりました。

 この「自分の町で生きるには」のあとがきには、「この本は、津野海太郎氏の

きもいりでできた」とあります。ということで、最後の最後でSUREと津野海太郎

さんはつながることです。(SUREの小沢信男さんの対談にも津野さんが参加

していますしね。)