本日もちくま文庫四郎本から

 本日も、ちくま文庫からでた「長谷川四郎傑作選」を手にしております。

昨日は昨年にでた「シベリア物語」でありましたが、本日は今月にでました

「鶴」を話題にです。

 そうはいっても、手にして読んでいるのは、巻末にあります堀江敏幸さんの

解説となります。長谷川四郎さんを評論で取り上げた方は、そんなに多くは

なくて、当方の知る限りではありますが、堀江敏幸さんが一番の若手であり

ました。(今はもっといるのかな。)

 堀江さんが若い頃に書いた「長谷川四郎論」が収録されたのは平凡社

ら2000年にでた「書かれる手」で、本日はこの本を探し出すところから作業

はスタートしました。

 「鶴」の巻末の文章は、「空虚な海、内なる海 長谷川四郎『鶴』をめぐって」

というもので、そこには次のようにあります。

「私にとって『鶴』の諸篇は、どれも二十代半ばの濁った頭にまっすぐな風を

通して、他者に対する身の持し方を示してくれた重要な作品ばかりである。

1988年の夏、前年に亡くなった長谷川四郎の遺著『山猫の遺言』に背中を

押されるように、私はあてもなくこの作家をめぐって、『脱走という方途』(書かれ

る手』所収)を書きあげた。若書きに託された行動原理は、三十数年を経たいま

も変わらぬ指針となっている。

 脱走とはなにか。それを明確に説明するのはむずかしい。」

 堀江さんは「脱走という方途」を1988年9月号の「早稲田文学」に発表して

いるのですから、その時は24歳であったのですから、これは若いよね。

 当方が目にすることになったのは2000年に平凡社から元版がでてからです

が、その文章のあまりのわからなさにがくぜんとしたのですよね。

当時の堀江さんの小説とか書評とくらべると、まるで次元が違った感じを受けま

した。 

 本日も、この「脱走という方途」を読んでみたのですが、とってもわかったとは

なりませんが、この文章は、今回の「鶴」の解説につながっていることでありまし

て、長谷川四郎の「脱走」の意味を考えてみなくてはいけないことです。

 堀江さんの若書きの「脱走という方途」には、次のようにありました。

「脱走兵にとってはもともと境界などひとつの指標にすぎないのだから、彼の

歩数の総和が、結果的に境界を描き出してしまうことになる。繰り返すが、

長谷川四郎の脱走兵の特徴は、脱走そのものが目的ではなく、振り向いてみて

それが脱走と呼ばれるものであったことに気づくという、転倒した理路にあるの

だ。この独自の行動様式が、彼の世界を貫徹している。」

 「書かれる手」を開いてみたら、これに雑誌のコピーが挟まっていて、それは

堀江さんの「定形外郵便 24回 体験の角度について」でありましたが、この

最後のところでも長谷川四郎さんの「空白地帯の沈黙」ということが書かれてい

ました。