なんとか中村稔さんの「私の平成史」の最後のページにたどり着きました。
平成というのは2011年の地震と原発事故と、日本の国力低下で記憶され
ることになるのでありましょうか。
中村稔さんは1927年生れとのことでありますので、小沢信男さんと同年の
お生まれであります。「平成史」を書かれていたのは90代に入ってであります
ので、これはすごいことでありまして、そこに書かれていることに、ちょっと首を
かしげたりすることもあるのですが、長命の方には勝てないことであります。
当方は、中村さんの「私の昭和史」の一冊目を購入し、読んで面白かった
ことから、それに引き続きで「私の昭和史 戦後篇 上下」を買っておりまし
た。買ったときにはすぐに読むぞと思っていたのですが、それからずいぶんと
時間が経ってしまいました。
せっかくの機会であるので、これを読んでみましょうと思って取り出してきて、
奥付を見ましたら、2008年10月とありましたので、16年の長きに渡り積読に
なっていたことになります。
これを書いていた時の中村さんは70代後半から80歳ころでありまして、
現在の当方の年齢にだいぶん近いことであります。書かれている時代は戦後
まもなくからでありますので、当方はやっとこさ生れたくらいの頃の話です。
上下巻合わせて31章でありますので、1日一章読むことが出来たら一月で
あがるのですが、そうはならんでしょうね。
本日に読んだところで、印象的なところを引用してみます。
「一介の大学生、高校生が集まって、社会的発言の場として商業誌を編集、
刊行しようというのは現代はもちろん、戦後の混乱期といえども、常軌を逸して
いる。すべてはいいだの野望と楽観主義からはじまったのだが、後に『世代』に
みるとおり、いいだはすでに社会的発言の場を求めるだけの思想ないし思想の
萌芽をかためていたし、中村光夫さんもそういういいだを認めていたからこそ、
『世代』の発刊に手を貸してくださったのであろう。遠藤、いいだ、中野らは当時
の一高で評判の秀才たちだったから、竹山教授もお骨折り下さったのであろう。
それにしても、こうした彼らの情熱が『世代』の創刊に至るのだから、これも
敗戦後の特殊な現象にちがいない。」
これは昭和21年のことでありまして、戦後のひどい食糧難のなかで、こうした
野望を実現しようとしたいいだももさんについて、後年になってから中村さんは
「忘れられぬ人々」で取り上げているのですが、これも読んでみたいものです。


