昨日の夜から開高健さん「珠玉」を手にしています。三つの短編からなる
作品集「珠玉」でありますが、収録の三作には「珠玉」という作品はありません
です。三作に共通してモチーフされるのが宝石でありまして、そこから「珠玉」と
名付けられているのですね。
金承福さんがおすすめの「掌のなかの海」は、作中の主人公である小説家の
若い頃の思いで話でありまして、これが基本的には相当に辛い話なのであり
ます。
「その頃、小説家になって間もなくのことだから、どうやって暮らしていいものか、
教えてくれる人もなくて、途方に暮れていた。・・作品にしたいことが脳か心かに
あって夜ふけに白い紙に向かって専心しているときは何とかしのげるのだけれ
ど、それが終わってしまって編集者に原稿をわたすと、いてもたってもいられなく
なる。家にじっとしていられない。少年時代の後半期から持越しの、とらえようの
ない焦燥とフアンが〆切日の翌日から流れ込み、こみあげ、小さな青い火で焙り
にかかるのである。家を買った借金は月賦で返済しなければならず、妻と娘の
一家三人のための生計は稼がねばならず、それはペン一本にたよるしかない。」
ほんと小説家になんかならなきゃよかったという昔話でありまして、これを読む
限りではちっとも楽しい気分にならないことであります。
小説家が夜な夜な街にでていくのは、この「小さな青い火」をしばらく忘れるため
で、それが新たな出会いを生んでいくのでありますが、常識人の読者は、家族は
どうなっているのかとつっこみを入れることにです。
その小説家が「汐留の貨物駅の近くにある小さな酒場」で出会った客が、船医
をしているという男性であります。
これまで船医をしているという人と出会ったことはありませんが、北杜夫さんの
デビュー作である「どくとるマンボウ航海記」が水産庁調査船の船医をしていた
体験をもとにしているのですから、なんとなく親しみを感じることです。
小説家が酒場でであったお医者さんは、開業を廃業して、外洋航路の貨物船に
乗り込むことになったのだそうです。
とにかく暇なので、船医は航海にあたっては本を持ち込むことにしているとのこ
とで、次のように書かれています。
「ひま。ひまも、ひま。・・毎日が日曜日ですわ。私はトルストイの『戦争と平和』、中
里介山の『大菩薩峠』、それと『西遊記』、これだけはどこへ行くにも持ち込むこと
にしています。どれも若いときから最後まで読みとおせなかった本ばかりです。
それをこれから老いらくの眼と心でじっくり最後まで読みとおしてやろうと思うとり
ます。」
この船医さんが、これらの小説を読んだかどうかについては、書かれてはいない
のでありますが、「戦争と平和」というところに強く反応であります。
年内に読んでしまうことはできないかと「戦争と平和」を手にしているのですが、
残りが文庫本でまだ800ページ近くもありまして、これは年内読了は厳しいかな。