今月の中公文庫新刊「中央線随筆傑作選」に収録された小沢信男さんの「新
宿駅構内時計のこと」を読んでいましたら、当然のながら、そこで話題になっている
中野重治さんの「空想家とシナリオ」を手にすることです。
小沢さんは、この小説のことを次のように書いています。
「この作品を、私はそのご何遍も読みかえしている。その感銘は、だから、中学生
当時のものではないだろう。そもそもこの作品にはべつに事件の展開はない。
区役所戸籍係の三十男の主人公が、『本と人生』というシナリオを書くべく、折に
つけ事にふれてはくだくだと考える。こんな地味な小説を、中学生の分際で果たし
て読み切れたものだろうか。」
小沢さんは、自分が新宿駅構内を電車で通過する時に気になっていた構内に
設置された時計を、中野重治さんが「空想家とシナリオ」のなかで言及されている
のを知ることになるのです。
この小説は1939年に文芸誌に掲載されたのち、単行本に収録されるのですが、
小沢さんは戦争下に古本屋で入手したとありますので、刊行されて数年後のこと
なのでしょう。中学生とありますので、四年生か五年生でしょうかね。
小沢さんのエッセイは短いものですから、すぐに読めてしまうのですが、「空想家
とシナリオ」は全集版で80ページほどもあり、中野重治さんの文体でありますので、
なかなか読むのが大変です。30ページくらい読み進みますと、やっとこさで、ちょっ
となじんでくることです。
今の時代でしたら、問題となるような表現もありますが、これはその時代の雰囲
気を知ることができて、そういうのが、この時代には許されたのだなと理解すること
にです。
小説の主人公は、「本と人生」という短編教育映画のためのシナリオ作りで、
本というものができるまでの過程を原木から伐りだしから取り上げてはいけない
かと考え、そのあと本になれば、どのように受け入れられるというようなことを思う
のであります。
そのなかで、最近の事情について書いています。
「グーテンベルグの発明のおかげで、やくざな本が世界じゅういっぱいになり、人間
の言葉が劣等な混乱を招いたことに気づくだろうか。ギリシヤ人どもがあんなに
美しい言葉を残したというのも、彼らの時代には活版印刷所がなく、したがって
彼らは、猫も杓子もいつ何時でも本の著者になるということがなく、弁論が大事な
政治生活であった」
中野重治さんが、最近のネットの世界をことを知ったら、どういう感想を持たれた
でありましょう。