訃報 原田奈翁雄さん

 本日の新聞訃報欄に編集者原田奈翁雄さんの老衰で亡くなったとあり

ました。1927(昭和2)年のお生まれで、96歳でありますから、年に不足は

なしです。

筑摩書房で『展望』誌などの編集長を務めた後、80年に径書房を創立、

長崎市長への7300通の手紙』などを出版した。著書に『生涯編集者 

戦争と人間を見すえて』など。」   

 原田さんの紹介には、上のようにありました。

 当方は筑摩書房が好きでありまして、この場でも原田さんに言及しており

ます。一番、その名前が登場するのは、かって筑摩の編集者で、最後は社長

になられた柏原成光さんの「本とわたしと筑摩書房」を話題にしたときで

あります。

vzf12576.hatenablog.com  このときもちょっと話題にしているのですが、原田奈翁雄さんは戦後まも

なくの混乱期に網走で新制中学の教師をしていて、その時の教え子に山口

 

昌男さんがいるということで、それが強く記憶に残っています。

 編集者としては筑摩書房が破綻した後の1980年に自ら径書房を起こして

そこを舞台に活躍をするのでありました。

この径書房の最初の出版物は「そのひと ある出版者の肖像」というもので、

筑摩書房創立者 古田晁さんの追悼文集でありました。

 この本の巻末には「ごあいさつ 創業にあたって」という原田奈翁雄さんが

書いたと思われる文章が掲載されていました。日付は1980年8月15日となっ

ています。次のように始まります。

「細い道です。もちろん幾多の曲折も、時にけわしい岨道もあって、しかもどこま

でもつづく道です。

 昔は、けものみちだったかも知れません。けものたち、そして人間たちの足が、

永い時をかけて踏み分け、踏みかためた道、それが径(こみち)です。けたたま

しい車の、まして戦車などの通る道ではないのです。

 私たちもまたその道を歩みつぎます。(後略)」

 径書房が、「そのひと」についで刊行したのは山代巴さんの「囚われの女た

ち」でありまして、これは書き下ろしの大河小説とあります。

これから44年であります。こうしたものを過去のものにしていいのかなと思う

のですが、これは原田さんも同様であったようで、今からちょうど二年ほど前に

新聞投書欄で原田さんのお名前を目にすることにです。

vzf12576.hatenablog.com 原田奈翁雄さん、なかなか安らかに眠っていることはできないようであり

ます。