6月といえば 2

 昨日に引き続きでパオさん喜ぶ、エレカシ宮本浩次さんの話題であります。

宮本浩次さんのことが話題となっているものは、とにかく確保しなくては気が

済まないという西村賢太さんのような方がいらっしゃれば、昨日から話題とし

ている新潮社「波」6月号というのは、以下のような表紙であります。その昔

は書店で無料で配布されていたりですが、最近は店頭で入手できるところは

少ないでしょうね。むしろ図書館などで手にすることができたりです。

 これに高橋洋二「極私的『タモリ倶楽部回顧録 前篇」という文章があります。

高橋洋二さんは1961年生まれの放送作家さんで、1991年から2011年の

間、「タモリ倶楽部」の構成を担当されていた方とのことです。

 40年ほど続いた番組の半分くらいに関わっていたころになりますが、この高橋

さんが収録に立ち会ったものの中で最も印象に残った一本が、宮本浩次さんがゲスト

に迎えての「こちとら会 PRESENTS 古地図で東京探訪」(1997年12月)の

会であったとのことです。

 この回が高橋さんにとって神回となっているのは、二つの理由になりますが、そ

の一つは、「当時30歳前後のロックミュージシャン宮本浩次が『古地図』という

一点で我らがタモリと熱く繋がっている様子を間近で目撃する迫力」とのことです。

 1997年というのは、エレカシさんにとって前年発表の「悲しみの果て」に

続いて「今宵の月のように」をヒットさせて、人気バンドとしての地位を確率した

年でありました。

 熱心なエレカシファンは、宮本さんが読書家で江戸趣味でいらっしゃることは

知っていたでしょうが、「タモリ倶楽部」を見ている人は、古地図でタモリと熱く

繋がっているのを見て、たぶん驚かれたのでしょう。

 番組のスタッフさんにとっても、そうであったのだろうと思います。

 そして、もう一つ強く心に残っている理由は、江戸創業の割烹でエンディングを

収録するのですが、宮本さんは「寒き夜」を弾き語りで熱唱し、歌い終えたあと、

次のように語ったことによります。

 「僕はもう歌手に専念します」

 1997年に「タモリ倶楽部」で、宮本浩次さんはそう言ったのだそうです。

高橋さんは、当時はなぜ「音楽」などではなく「歌手」といったのかと不思議に

思ったということですが、それから25年ほどたって、納得がいったということ

で、次のように書いています。

「現在までに宮本浩次エレファントカシマシのボーカリストとしてはもちろん、

どの歌手のどの時代の楽曲も日本一感動的に歌う歌手であることは衆目の一致す

るところだろう。

タモリ倶楽部』の収録に立ち会ったおかげで、ちょいとした音楽史に残る名台詞

を生で聞くことができました。タモリは宮本に『また今度やりましょう』と言葉を

投げかけた。本当にまたどこかでやればいいのにと思う。」 

 うれしい話ではありませんか。「日本一感動的に歌う歌手であることは衆目の

一致するところ」というところにぐっと力をいれて傍線を引きたくなることです。

 パオ会員である家人が、宮本さんのハマったのはソロ活動以降でありますので、

まさに歌手 宮本の部分が際立って来たことによりますね。