図書館から借りた本

 話題になっていた本は、ちょっと時間が経過して落ち着きますと図書館でも

予約なしに借りることができるようになります。人気のある本を借りようとしま

したら、予約をして、しかも次に待っている人がいると思うと、自分のペースで

読み進めることもできずですので、ちょっと世の中から遅れて動いたほうがよろ

しいようです。

 先日には、昨年に話題になっていた「文にあたる」という本が、棚にささって

いて借りることができました。

 校正を業としている著者による、校正をめぐるあれこれです。先日にはTVの

プロフェッショナルでも別の校正者の方が取り上げられていましたが、地味で

ありますが、とても重要な仕事。(先日のTVのあとかに、この番組を見た方の

つぶやきかで、校正の方がやられていたことのいくつかは、編集者がやる仕事

ではないかと行っておられました。)

 牟田さんの本に「意地の張り合い」という章がありまして、その前文は校正

もなさった長谷川鑛平さんの著書「本と校正」からとられていまして、それは

悪筆の著者で有名な人という書き出しとなっていました。(ちなみに長谷川さん

があげているのは、石原慎太郎波多野完治丹羽文雄の三氏でありました。)

 その昔の文選工は、このような悪筆の方が書いた原稿から活字を拾うことが

できなくてはいけなかったのですね。もちろん、文選工であれば、皆がそんな

ことをできるわけでなくて、そうであるから、次のような逸話も残っているの

ですね。

 たしか、小林勇さんの書いたものにあったはず(あやふやです。)ですが、

小林さんが原稿を取りにいったなかには、遅筆で、しかも悪筆という著者が

いて、本日中に原稿をもらわなくては、雑誌の締め切りに間に合わないという

ことで、筆者にお願いをするのですが、やはり本日は書くことができないと

いう返事が返ってきて、その時に小林さんがその方に返した言葉は、「先生の

原稿を読むことができるのは、高齢の文選工ただ一人しかいなくて、本日は

そのものを、ずっと待機させているのです。」と、それを聞いた筆者は、ハラ

ハラと(高齢になっていて、涙もろくなっていたともいわれてます。)涙を

流して、それではすぐにと書いてくれたのであるとかです。

 この筆者は、長谷川如是閑でありました。

 牟田さんの「意地の張り合い」には、次のようにあります。

「著者自身でさえ読めない原稿をどうやってゲラの形にするのか。かっては

それが印刷所の仕事でした。難読原稿の『解読』を専門にする人材を育成して

いたというのです。」

 その昔は、達筆な人も多くて、独特の崩し字のやり方もあったので、生原稿

を読むのは大変な作業であったのですよね。