文庫本で追悼読書

 目黒考二さんが亡くなって、なにか書いたものを読んで追悼しようと思って

いましたら、古い角川文庫本が思いがけずにでてきて、それを手にすること

です。

 目黒さんのウィキを見てみましたら、最初の文庫本は北上次郎名義の「冒険

小説の時代」でありましたが、目黒名義ではこの「活字三昧」が初めての文庫

であるようです。

 小生など冒険小説などまるで読みもしないのに、目黒さんの文庫本という

だけで「冒険小説の時代」を買ってしまったのですから、「本の雑誌」の発行

人に対して敬意を抱いていたのですね。

 それでいきますと「活字三昧」などは「活字中毒本」でありますので、当然の

ように購入したのです。

 本日にほんと久しぶりにページを開いてみて、びっくりとすることです。

 印刷面の刷りが薄くて、えらく読みにくいのです。年を取ったら文庫本で読む

のは辛いよとはいわれるのですが、これまであまり読みにくいという感じを受けた

ことはなかったのにです。部屋の照明がすこし暗いということも影響しているで

しょうが、角川文庫には注意が必要であるかもです。

 そんなこんなことを感じながら、ぱらぱらとめくっていたら「初老小説を読み

たい」という「サンデー毎日」に掲載の文章がありです。

「日のあたる縁側でうつらうつらミステリを読んで一日を過ごす。そんな老後を

送りたいと若い頃に思ったことがあるが、老年が現実として迫ってくるようにな

ると、理想の老後は突然くるものではないという実感がこみあげる。」

 1990年のものですから、まだ44歳くらいでありまして、目黒さんはすで

に若くはないと思っていたのですね。

そういうところでであったのは、筑摩書房からでたアンソロジーで「老年文学傑

作選」でありますが、それに収録のものから林芙美子「晩菊」、沢木耕太郎「お

ばあさんが死んだ」、耕治人「そうかもしれない」の三編が、いまさらながら

秀逸といったあとで、老年文学を読むのは辛いので、もっと身近に読むことが

できる50代の人を書いた「初老小説」を読みたいとつながることになります。

 この文章を書かれた時代、または目黒さんの気分では50代半ばくらいは初老

という感じであったのでしょうが、それから30年が経過して70代に入って

いる当方などは、やっと初老という気分でありますので、ずいぶんと老人を取り

巻く環境は変わったことであります。

 今でありましたら初老小説といえば、どのような作品を思い浮かべるかな。

職場を定年退職して再就職にかかわるものなどは、初老小説といえるかもしれ

ませんが、今は思いつかないことで。