本日は図書館へといって、本の借り換えを行いました。まったく読むことが
できていないので、また借りることにしたのですが、次回は11月ですといわれ
ました。二週間したら月代わりとなるのでありますね。
この時期借りている本で、まずまずなかをのぞいているのは、三橋順子さんの
「歴史の中の多様な『性』」でありまして、ほんと勉強になるのでありますよ。
いま読んでいるのは「薩摩藩における男色の系譜」というものですが、「男
色習俗が衰退する中で、なお強く男色好みを示す薩摩武士の特異性」というもの
は時代が下って、どのあたりまで確認できるかを論じるものとなっています。
明治時代には普通に文章に書かれていて、谷崎や里見とんの文章にも「薩摩藩
の『二才』『稚児』という言葉を使っているのが見られるとのことです。
ここで紹介されているので驚くのはきだみのるの「人生逃亡者の記録」にある
エピソードで、きだが小学校四年で終えて、旧制鹿児島一中に入学した1906年
頃の話だそうです。三橋さんは、「当時の鹿児島の青少年の性行動を記した貴重な
記録」とあります。
きだみのるさんでありますので、こうしたことも記録しているのでありますね。
(わが家のどこかにありそうだから、探してみよう。)
この「薩摩藩」についての章は、鹿児島で行われた「性科学会学術集会」での
講演がベースになっているのだそうですが、この集会の懇親会の時に、参加の
精神科医師(三橋さんの主治医)から、「僕の高校のころまであったよ」と告げ
られ、「薩摩藩の二才・稚児の男色行為の伝統は、鹿児島県の私立男子校で少な
くとも1980年代前半まで残っていたことになる」と、書いています。
同性愛ではなくて、薩摩の男色文化でありまして、これが戦後の男性同性愛文
化に影響を与えているとなりです。
そういうことなのかでありまして、討ち入りをして割腹自殺をした日本の作家
も、日本の男色文化の伝統に則ったということになるのかな。