久しぶりで「横しぐれ」

 本日は野暮用から戻りましたら、丸谷才一さんの年譜(全集12巻に収録のもの)

を見て、そのあと講談社文庫「横しぐれ」を取り出してくることになりです。

 「横しぐれ」を手にするのは、実に久しぶりのこと。「横しぐれ」は1974年

に「群像」に掲載された中編ですが、丸谷さんの蘊蓄小説のはしりの作品で、そ

れがミステリ仕立てのようになっているので、ぐいぐいと引き込まれる作品。

当方は仕事について、すぐのころに読んだのですが、ほとんど謎解き小説のように

楽しみましたです。後年にも、丸谷さんはこのような手法で小説を発表するのです

が、最初の「横しぐれ」のような面白さは感じなかったことで。

 「横しぐれ」を正しく読むことができていたとは思えないのですが、丸谷さんの

作品をこれからも読み続けるぞと思ったのは、この「横しぐれ」のおかげでありま

すね。

 この作品を読んで知ったのは、丸谷さんの父親は医者であったということであり

ますね。(「横しぐれ」の主人公の父親は、水戸で開業していることになっていま

す。)

 本日に出先で、地元にゆかりの人が書いた本をパラパラとみていましたら、なん

とそこに「丸谷熊次郎」という項目がたっているのを発見です。

その本は金沢大学医学部につながる医師で、北海道で医業についていた方々の足跡

をたどるというものですが、丸谷熊次郎すなわち丸谷才一の父が、どうしてここに

と思ってみることにです。

 この本によりますと、丸谷熊次郎さんは金沢医専を卒業して地元に勤務した後、

北海道にわたって室蘭町立病院に勤務していたとあります。(明治42~44年)

これは知らなかったな。

 著者の飯田さんは、現在の鶴岡 丸谷家に問い合わせをだし、熊次郎さんの室蘭

の辞令とか家族写真の提供を受けていて、これを掲載しているのでありました。

丸谷才一さんのフォトアルバムがどこかにあれば、父母の写真などが掲載されてい

るのかもしれませんが、当方は、丸谷さんの家族写真など初めて目にすることにな

りました。

 まったく思ってもいないことでありまして、どこになにがあるのかわからないこ

とです。これは貴重な丸谷才一関連資料(なんといっても、父母にはさまれて坊主

頭の才一少年がうつっている写真なんて、超レアでありましょう。)といえますね。

 「横しぐれ」には、主人公の父親が登場し、そのエピソードがものがたりを引っ

張るのでありますが、小説家は主人公の父親について、次のように書いています。

「体の調子のよい折に父がぽつりぽつりとしゃべったのは、たとへば、近在の造り

酒屋の三男として育った子供のころの話である。雪のなかを二時間ばかり歩いて

中学へ通った話である。はじめて上京したときの話である。朝鮮で丘の上の病院に

勤め、夏は坂を昇るだけで汗まみれになった話である。」

 飯田さんの丸谷熊次郎さんについてのくだりを見ますと、この朝鮮というのは、

室蘭のことかなとか、造り酒屋というのは実家が味噌屋さんとあったので、それの

変形であるかなとか、思うことです。

 ちなみに「横しぐれ」の父親は産婦人科医で、ここだけは熊次郎さんの専門に

同じとなりです。

 とここまで書いて、室蘭町立病院というと八木義徳さんの父親が病院長をして

いたところであることに思いあたることにです。八木さんは明治44年に室蘭生ま

れでありますので、なんと八木さん父(八木さんは庶子ですので、姓は違うのです

が。)と丸谷才一さんの父は、同じ時期に室蘭町立病院に勤務をしていたのです

ね。

 ほんとにびっくりすることでありました。