腰をかばいながら

 今週の月曜日にギックリ腰をやってしまいましたが、日が経つにつれて、

すこしずつ痛みも和らいでくるのですが、それでも時々つぼにはいったように

痛みが走ることです。とはいっても、じっとしてもいられないので、腰をかばい

ながらトレーニングにいくことにです。

 さすがに本日はいつもの三分の一くらいの力ですることになりです。時間は

小一時間ですが、まずまず汗がでて、運動した感じになりました。

 戻ってからは、読みかけになっていた本を手にすることになりです。

 森まゆみさんの「昭和・東京・食べある記」とトロワイヤの「仮面の商人」で

ありますが、この週末になんとか「仮面の商人」は読んでしまいたいものであり

ます。そんなつもりで、本を手にしていました。

 ほとんどいったことのないお店ばかりでありますが、もちろん有名なお店が

ほとんどであるようです。本日に読んでいたところには、神保町の「ミロンガ

ヌオーバ」の紹介がありです。

 ここでは店長の浅見さんという方への聞き取りになりますが、この店のことを

次のように紹介しています。

「ここがミロンガになる前、昭和22年から24年ころ、短い時期ですが、昭森

社という出版社がこの2階にあって、1階はランボオというカフェで・・そこは

文学者のたまり場でした。」

 昭森社といえば、そこに伊達得夫さんのユリイカが間借りしていたことで有名

でありまして、リトルマガジンと詩書好きには、たまらないところ版元と場所で

あります。

 森さんは、店長さんからこれを参考にとって本を貸してもらったとあります。

「『本の手帖別冊 森谷均追悼文集』(1970) これはみつちりと詰まった

本である。森谷均は岡山の出身で、中央大学を卒業、書物展望社に勤め、昭和

10(1935)年に昭森社を創立。戦後はそこに思潮社や『ユリイカ』が間借

りしており、勢い詩人や作家のたまり場になった。

 森谷均の詩に対する情熱はつよく、太った体で陽気な人で、神田のバルザック

と呼ばれた。」

 当方が高校生の頃に新聞で森谷均さんのことを知って、その後まも亡くなった

のですが、この時に森さんが手にした「追悼文集」は、刊行されてから40年

くらいも経過して、やっとこさで入手した記憶があります。  

 本当にほとんど伝説的な店と小路であることです。