死後4ヶ月であるか

 出先で新聞をみておりましたら栃折久美子さんが亡くなっていたとでており

ました。当方が購読している新聞にはのっていなかったようですので、どういう

形で栃折さんが亡くなったことは公表されたのでありましょう。

亡くなられたのは今年の6月25日とありましたので、亡くなって4ヶ月ほど経過

したことになります。

 栃折さんは筑摩書房の編集者としてスタートして、それから装丁家として独立

し、フランス留学を経てルリュール作家となるのでした。その傍らエッセイなど

も残されて、「モロッコ革の本」は長く読みつがれることになりました。

それこそ当方が購読している新聞に造本についての連載コラムなども書いておら

れていて、当方はそれを切り抜いてスクラップしていたのですね。

 栃折さんが亡くなったと知って、栃折さんの本などを手にしてみようと思った

のですが、本日の捜索ではほとんど見つからずでありました。

たしか「銀花」でも栃折さんが制作したルリュール本を紹介しているものがあっ

たはずですが、これも本日はチェックすることはなしです。

 当方のブログでも栃折さんのことを何度か話題にしていますが、まずは編集者

時代のことになりです。戦後まもなくの筑摩書房は、他の会社よりも女性編集者

が多くいらしたのではないかと思いますが、これは筑摩の編集トップであった

臼井吉見さんのせいでしょう。東京女子大で教鞭をとっていた臼井さんが、見込

みのある教え子さんを採用したのではないのかな。

 編集者時代で一番有名な逸話は、室生犀星さんの「蜜のあわれ」に登場するこ

とによってでありますね。そして、この「蜜のあわれ」元版は、栃折さんの初期

の装丁本となります。

vzf12576.hatenablog.com  ルリュール作家になってからといえば、なんといっても「モロッコ革の本」

が代表的な著作ですね。

 この本が書かれていた頃に担当した代表的な装丁本に吉田健一さんの「書

架記」(1973年)がありまして、この本はすぐに取り出すことができるとこ

にありましたので、その本を写真にしました。当時は良き時代でありまして、

一般書で、こんなにも贅沢な雰囲気の本がでていたのでありますよ。

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 そして最後に手にした栃折さんの本は、次のものでありました。

 森有正さんとのことをよくぞ栃折さんは書き残されたなと思いましたが、オル

ガンでバッハを演奏する思索家として有名ですけども、まったく違った一面も

あるらしで、それと栃折さんから受ける印象のギャップに驚いたことです。

vzf12576.hatenablog.com  この週末には、栃折さんの遺されたものを引っ張り出してくることにしま

しょうぞ。