惜しまれる死

 本日の朝刊をみていましたら小佐田定雄さんが笑福亭仁鶴さんの死を惜しんで

いました。

 小佐田さんはほぼ当方と同年代でありまして、学生の頃に米朝小松左京

「題名のない番組」をきいていたということなど、いかにもの関西のお笑い好き

であります。この時点で笑福亭仁鶴のことについて、書くとすれば最適の人で

ありましょう。

 仁鶴さんのしゃべりについて、次のように書いています。

「そのしゃべりの魅力は、私が学生だった昭和40年代、まずラジオの深夜放送

で生かされた。声だけで情報をつたえなくてはいけないラジオでは、ちょっと

濁った個性的な声が武器になった。その声で面白い内容をハイスピードでしゃべ

るものだから、当時の若者はハートをわしづかみにされた。」

 当方が仁鶴さんのことを知ったのは、いつであったのかな。北海道での高校の

ころも夜にはラジオ大阪を聞くことができたので、その頃に知ったのか、それと

も関西での学生時代に知ったのか、とにかく仁鶴の人気はすごかった。落語系の

関西タレントのはしりでありまして、その話芸には魅せられたのですが、落語家

本来の高座を、見ることができなかったのは残念至極でありました。

 つい先程にネットで内橋克人さんが9月1日に亡くなったと報じられました。

こちらは89歳で、つい何ヶ月か前にNHK朝のラジオにコメントを寄せているの

を耳にしたところです。穏やかな話しぶりで、新自由主義市場原理主義を批判

するのを共感をもって聞いておりました。

 たぶん最後の出演となった回は、声が弱々しくて年齢を感じさせたものであり

ますが、やはり戦争とか震災を体験している苦労人ジャーナリストの言葉には

重みがあります。(このNHK朝の出演者には、内橋さんと対極の考え方の方も

いるのですが、こちらは成長のためには、思い切ったことをしなくてはいけない

という主張を貫きます。こちらは政権とぴったりの人のようです。)

 内橋さんの言ってこられたことに、日本全体がそのとおりだなと思う頃には、

ほとんど日本が沈んでしまっているのでしょう。

 本日の手近にある本には、次のようにありました。

「景気回復の実感がない、というその『実感』にこそ確かな裏づけがあるので

す。『景気回復は本物か』などと合唱するのではなく、『だれのための景気回復

か』と問わなければならないのではないでしょうか。」

 上は2005年に発表されたものからの引用ですが、それから16年経過です。