本日はたまたま午後の時間が空きまして、さてとりためてある音楽番組で
もみましょうかとTVをつけてみましたら、服部文祥さんがでてくる番組が
放送中でありまして、そういえば本日は服部さんの番組があると告知されて
いたなと気付き、この番組を見ることになりです。
本日は、この番組のことでお茶を濁そうと思って、過去記事をチェックして
いましたら、この番組のことは4年前に見ており、言及しておりました。
(TV番組を見ていたことを、まったく忘れているというのが情けなやであり
ます。まあ、このくらいでへこたれていてはいけないのですね、まだまだこれ
からであります。)
vzf12576.hatenablog.com ということで、自分の情けない話は、このくらいにして、本日に届いた友人
の哀しい話であります。そこには次のようにありました。
「『終活』の一貫で、今まで残して置いた全集など(限定千部・三分冊・当時
36,000円で購入した『狭山裁判』を含む)を、泣きの涙で古本屋に処分。大きめ
のダンボール6個(送料は受取人負担なんだけど)で、差し引き千円にも満たな
いなんて、なんだか生きる意欲が徐々に薄らいで来ているのを感じる。」
彼にとっては、狭山裁判というのはライフワークであったのですが、それを
披瀝する場もなくなってしまって、何十年にもわたって収集した資料も処分と
なったのでありましょう。
その昔に36,000円の「狭山裁判」の現在の取引価格はどのくらいなのかわか
りませんが、買取は1%くらいで、販売は10%くらいなのでしょうか。
欲しい人がたくさんいれば、そのようなことにはならないのですが、この本に
投じた彼の情熱はどうなるのでありますか。
もちろん、彼は千円にも満たない金額を受け取ってやけ酒を飲んだのであり
ますね。
当方もあちこちから元気なうちに本を処分してくださいよと言われておりま
して、そうだよなと思っているのですが、どのへんからどう処分したらいいの
かですね。(その前に亡父の本もあるのだよね。それもあわせると漱石全集
なんかは何セットあるものだか。)