この話であったか

 今年は大河ドラマの主人公が「渋沢栄一」ということもありまして、NHK

の他の番組でも、これに関連するものをやっています。

 この時間は「英雄たちの選択」で「徳川慶喜パリ万博大作戦」というのを放送

していたようです。これは見ようと思っていたのですが、時間を間違って見逃し

です。次回再放送で録画してみることにします。

 パリ万博というと使節団の一員として渋沢栄一が参加していたのですが、その

上役として栗本鋤雲という人がいたとのことです。この人は、現在放送中の大河

ドラマにも登場するのですが、たぶん、これからパリへと渡ることになるので

しょう。

 そんなことを思ったのは、図書館から借りっぱなしになっている「外交官の

文章」の第二章が、栗本鋤雲にあてられていたからでありました。

  栗本鋤雲さんは、幕末から維新にかけてフランスとの外交を担当した幕臣

ありますが、制度としての外交官というのが誕生するまえにも外交の必要があっ

たわけですね。

 芳賀さんは、次のように書いています。

「言論人のあいだにおける鋤雲の信望の高さというものは、なによりも幕末の

国内外の難局にあって幕府外交の現場第一線の重責を全うしてきた彼の経験の

分厚さ、見識の豊かさにこそ由来していた。そしてその経験を通じてつちかわ

れ、維新後にはいっそう光をましたその『志節』『気節』の高潔と、おのずか

らその見識と気骨とがにじみでた文章の重厚の美も、また彼らのうちにいっそ

う『畏敬の念』(尾崎行雄)をよびおこさずにはいなかったのである。」

 この栗本鋤雲さんが抜擢されることになったのは、左遷されていた函館での

勤務が評価されてのことだそうで、それは知らなかった。

 函館では、移住武士集団の頭取をしていたのだそうで、「もともと本草好き

の鋤雲にとっては函館周辺の山野を開墾し、薬草園や病院を設営し、疎水を

開き、養蚕や稲作を試み、北海道奥地や樺太、千島の長期探査にまで赴くとい

う五年半の開拓技師の生活は、むしろ大いに充実していて、彼の思想の視野を

一挙に押しひらくものともなったらしい。」

 この北海道で書き残した文章は、「近代北海道史に欠かすことのできない名

篇である」とありました。それは知らなかった。ちょっと調べてみることにい

たしましょう。