本日の新聞朝刊「天声人語」をみましたら、書き出しのところがいきないり
川端康成でありました。
「作家の川端康成は中学生のころ、祖父の介護をしていた。寝たきりの祖父と
の日々を書き留めたのが『十六歳の日記』である。学校から帰ると、寝返りを
うつのを助け、しびんをあて、茶を飲ませる」
このようにはじまりました。「天声人語」のほうは、このあと「最近の言葉
で言えば川端も『ヤングケアラー』だろうと続きまして、若くして家族介護を
担っている人の話題へと転じていきます。
その昔から両親とか兄弟に何らかの事情があって、家庭内にあって介護の
役割を担っていた人はいたのですが、最近になって「ヤングケアラー」という
ことで、クローズアップされています。
当方が見かけるのは、目が不自由な両親と一緒に買物に来ている小学生くら
いの娘さんですが、大きくなるに従って、目にする回数が減ってきているのは
学校などで忙しいからでありましょうか。
川端康成が子どもの頃に家族に恵まれない生活を送っていたというのは、
知っていたのですが、それが「十六歳の日記」という作品になっていたとは
知りませんでした。
その作品は岩波文庫に入っていまして、手を伸ばせば届くところに置かれて
いました。「伊豆の踊り子」が入っているもので、これくらい読まなくてはい
けないなと思っていていたようです。
ということで早速に「十六歳の日記」から読んでみることにしたのですが、
十六歳の旧制中学に通うぼんぼんよりも、祖父のほうが当方には身近に感じ
られることでありまして、あと数年後に介護が必要になったら、公的サービス
に頼ることになるのだろうなと思いました。
そういう意味では高齢者はまだしも恵まれていて、ヤングケアラーしか頼る
介護者がないというのは、制度ととしてエアポケットのようになっているので
しょう。