先日に編集工房ノアに注文して確保したのは、庄野至さんの「足立さんの
古い革鞄」でありました。
庄野至さんの本を買うのははじめてのことですが、編集工房ノアで庄野さん
といいますと、庄野英二さんのものが思い出されます。「海鳴り」は英二さん
が描いた絵をずっと表紙に掲げているのですが、編集工房ノアの一つの柱に
帝塚山文化というか、大阪南のちょっと裕福なインテリ世界があるようです。
庄野英二、潤三、至の兄弟は、帝塚山学院の創立者を父にもって、それこそ
帝塚山文化を体現した人たちとなります。
一番有名なのは潤三さんで、英二さんはそれについで、至さんはあまり知られ
ていないでしょうね。当方も今回ノアからでて織田作之助賞を受けた「足立さん
の古い革鞄」を購入し、はじめてこの方の文章を読むことになりました。
庄野至さんのこの作品集は2000年前後に同人誌に発表された五作品が収録され
ていて、一番気になるのは表題作でありますが、この作品よりも次におかれた「黒
猫が棲んでいるホテル」というほうにひかれました。
こちらの作品は1971年9月に、勤務していた放送会社の出張でモスクワへと行っ
た時の忘れられない思い出を、それから30数年経過したから小説としたものです。
1971年のモスクワですから、ソビエト連邦時代でありまして、国のあり方が今とは
まるで違っていました。
言葉も事情もまるでわからないモスクワでどのような人に出会い、どの人に世話
になったかが描かれています。世話になった人には、モスクワ在住の日本人もいる
のですが、その時代にモスクワに在住して、庄野さんのことを世話する人とはどの
ような背景の人であったのかです。
本当に庄野さんにとっては、数日間の短い出会いでしかないわけですが、その出
会いは30年たっても記憶に残るものであったのですね。
この時代の若い人にとっては、シベリア鉄道を利用してモスクワからヨーロッパ
に入るというのが、一番安い旅程でありました。そういう時代があって、その中に
はモスクワで下車する人もいたのですね。
当方の友人には新婚旅行をシベリア鉄道を使ってモスクワへと行ったというのが
いまして、彼にこの作品のことを知らせたら、是非とも読んでみたいといってまし
たです。そういうふうな読まれ方もありですね。