図書館から借りた豊崎由美さんの「ニッポンの書評」を手にしています。
ほんと、このような新書がでていたことにまるで知らなかった。
ここ何年か豊崎社長の「鮭児書店」(北海道新聞読書欄に季刊で掲載のコラ
ム)を楽しみにしている当方としては、もっと早くにこの本に気がついている
べきでありました。
豊崎社長が西武のコミュニティ・カレッジで「書評講座」をやっておられた
なんてのもこの本で初めてしりました。ここで受講生に課題をだして、それに
模範となる回答例もだすというのですから、なかなか実践的な講座であられた
ようです。
そこで学んでどうなるのかというのは、書かれていませんが、もし書評など
を担当するときには、講座で学んだことを思いだしてねということでしょう。
豊崎さんは批評家ではなくて、ライターまたは書評家というのが肩書であり
ます。批評家というのは、誰かから認められなければ自称するのは苦しいとこ
ろがありますが、ライターというのはなんの資格も必要がなさそうです。
この本が2011年にでたということを頭において、次のようにあるのを読んで
みました。
「新聞書評がこれほど大学人に偏る理由はおそらくふたつ。新聞は小説から
学術書、ビジネス書に至るまであらゆるタイプの本を紹介しなくてはならない
ため、各ジャンルの専門家を用意する必要があるのがひとつ。そして今ひとつ
の理由は権威づけでありましょう。知識人としてのしっかりした肩書がない者
が、知的産物である書物を紹介しても説得力をもたない。そういうことです。
実際、わたしが肩書に『ライター』を使うのを好まない新聞社の方は多いです
から。当たり前のことながら、物書き界にもヒエラルキーは厳然と存在するん
です。」
その昔の書評欄がつまらなかったのは、読みたいと思わせる本の取り上げ、
または紹介がなかったからでありまして、特にいけないのは、権威主義的な
学者さんのものであったように思います。
その昔とくらべると、ずいぶんと新聞書評などは良くなったように思います
が、最近に書評を目にして買った本といえば、なにがあったろうかなです。
書評ではなくて、本の紹介をしたりしている、当方にも参考になる話が満載
でありまして、勉強になることです。