ちょっと調子に乗りすぎか

 ここのところ本はそんなに読むことができていないのですが、本を確保は

できているのですね。新刊もブックオフでもなかなか良い買い物ができていま

して、これって調子がいいからではないかと思うことです。

 ここ数日で購入したものは、単行本から文庫、新書までそこそこの冊数にな

るのですが、なかなかバラエティにとんでいて面白いことであります。あとは

読むだけです。

 とりあえず、そのうちの何冊かをご紹介です。

  文芸文庫が安価でありましたら、どのような内容でも購入するのですが、これ

はかっての文化リーダーのお一人でありました桑原武夫さんのものですから、あ

りがたくいただきです。

 本当に最近は桑原武夫さんのお名前を目にすることがなくなりましたが、最近

に届いた編集工房ノア「海鳴り」に掲載の山田稔さんの文章にありましたです。

 今回の山田さんの文章は、京大仏文で一緒であった生田耕作さんについての回

想ですが、そこに次のように登場です。

「その噂の人物(生田耕作)と初めて顔を合わせたのは忘れもしない、私が京大

人文研の助手に就任した直後の1954年1月5日だった。場所は当時生田の上司に当

生島遼一先生のお宅だった。先生としてはお気に入りの新人と桑原武夫の弟子

多田道太郎を仲良くさせよう、ついでに山田の就職も祝ってやろうとの心づも

りであったように思う。」

 桑原武夫という人は京大人文研を拠点にした優秀な学者でオーガナイザーであ

りますね。桑原さんの本をぱらぱら見ていたら、フランス文学に進んだことにつ

いて、次のように書いています。

「私は理科へ進むことを断念し、あえて文学とはいわないがフランスのことをや

りたいという気にほぼなっていた。それを決定的にしたのは、そのころ読んだ

エドモンド・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』(楠山正雄訳)の面白

さである。・・・そうした気分になった基盤には、永井荷風谷崎潤一郎

あった。彼らの作品のどれがどのように私をフランスにひきつけたかということ

は、とうてい分析できかねるが」

 そうなんだ、桑原さんがフランス文学へと進む基盤には、永井荷風と谷崎の

文学があったのか。これは大正10年頃のこととあります。その時代にはこのお二

人はうんとモダンな人であったということがわかります。