若い書き手に期待

 自分よりも年上の人たちは、基本的に自分より先に姿を消すものと思って

いるのですからして、昔からなじんでいた書き手の人たちがいなくなった分

だけ、自分なりに新しい書き手さんを補充していかなくてはいけませんです。

 このところ、将来を期待されている書き手さんたちが、SNSなどに人間的

な未熟さを露呈するような投稿を行って批判を浴びていますが、昔であれば

学者バカだからなで終わったかもしれませんが、ネット社会はそうはいかな

いということですね。

 もちろん若い学者さんがSNSで積極的に発信するのはいいことなのですが、

SNSというのは、心してかからなくては下品になってしまうようですので、

それこそわきまえなくてはです。(これは当方も自戒をこめてです。)

 先日に購入した中公新書サラ金の歴史」小島庸平著を読んでいます。

当方が働き盛りであったときは、サラ金の黄金時代とかぶることでありまして、

サラ金やノンバンクのキャラの尖ったオーナーたちが、メディアで袋叩きに

あっていました。

 なかにはなんとか冬の時代を乗り切って、現在は文化事業(美術館)などで

イメージアップをはかっているオーナーさんもいらしたりです。

 そんなこともあって、サラ金というか庶民金融というのは、どういう歴史を

歩んできたのかが気になりました。

 この本の冒頭のところで、次のように書かれていました。

サラ金は、人間関係が希薄化したからこそ、大きく成長したのではないか。

そもそも金を貸してくれる知人や友人がいれば、サラ金が生まれる余地など存

在しないのではないか。

 確かに、人間関係の希薄化と、ドライに金を貸し付けるサラ金のイメージは

容易に結びつく。だが、よくよく調べてみると、サラ金の創業者たちは、知人

や友人に金を貸し付ける中で自らの金融技術を鍛え上げており、個人間金融こ

そが現在のサラ金のゆりかごだった。逆説的ではあるが、サラ金は人と人との

濃密な関係性の真っ只中から生まれたのである。」

 このように書いてあるのをみましても、それでもサラ金はといわれそうです

が、「個人間金融こそがサラ金のゆりかご」というのは説得力があります。

 当方がまだ20代の頃、当方の勤務先にも個人間金融でちょっと知られた方が

いまして、その方は親がこがねもちであったようで、その資金を運用するため

に同僚たちに貸付をしていたようで、その方が仕事場で電卓などを叩いていま

したら、その上司が「おお利息の計算でもしているのか」と声をかけたとの

ことですから、公認ではないものの、公然化していたのでしょう。

 その方は、結局のところ定年退職を待たずに辞めて家業を継いだとか聞きまし

たが、濃密な人間関係の先にサラ金があるというのは、ちょっと納得するので

ありました。

 著者の小島庸平さんは1982年生まれで、農業経済出身とのことです。農学部

からでた若手といえば、藤原辰史さんとかぶることでありまして、農学部出身

の歴史家さんは、注目でありますね。

サラ金の歴史-消費者金融と日本社会 (中公新書 2634)