大陸の両端で

 ちょうどTVで「ラトビア100年物語」というのを放送しておりまして、行き

がかりで、これを見物することになりです。バルト海に面したラトビアソ連

邦の支配から独立したのは1991年とあります。

 まさか、その後にソ連邦まで崩壊するとはです。

 先日のブックオフで安価で購入した中公新書を読んでいるのですが、これと

ちょうど話題がシンクロすることになりです。

  その昔にはその人々が理想国家だと思うような(または思わせるような)国

がありまして、禁を犯してその国へと亡命(?)したりした人がいうのですね。

 革命後のソ連邦には有名なところでは岡田嘉子さんのように国境を超えて行っ

た方もいるのですが、岡田さんは例外的に粛清被害にあわなかったのですが、

多くの活動家さんが、理想と信じた国家にわたって消息不明(その多くは粛清)

にあったのでした。(このような話は、朝鮮半島の共和国にもある話です。)

 中公新書「ロシア国籍日本人の記録」の著者 川越史郎さんは、旧制高校在学

中に招集されて、旧満州で敗戦となり投降し、シベリア送りとなるのですが、

その後に収容所で見込まれて「ハバロフスクで民主グループ活動家の講習会があ

るので行かないか」と声をかけられ、ハバロフスクのほうが日本に近くなるで

承諾したら、それが終わってから「ソ連に残って日本の民主化のために仕事をす

る積りはありませんか」と誘われることになりです。

 ひどく迷った末にこの誘いを承諾することになります。川越さんは旧制高校

の時には左翼活動はしていなかったのですが、収容所での活動のなかで、「革命

的ロマンチシズムの作品に夢中になり、革命と社会主義への情熱にとりつかれて

いた」のだそうです。

 最初の職場はモスクワ海外放送ハバロフスク支局で、その後はモスクワへと移

ソ連邦の外国語出版部門などで仕事を続けることになりです。

 モスクワでは日本からの行っているスタッフとも仕事をしていますが、そのな

かには松下裕さんとご家族もいらして、その人たちにもちょっと触れられていま

した。そのような記述をみるのが楽しいことであります。

「松下さんは早稲田の露文科を卒業し、モスクワへ来る前は筑摩書房に勤めてお

られたと聞く。きちょうめんな仕事をする人と見受けた。奥さんの方はまったく

未知数で、私が聞かされていたのは、ロシア語がすこしできるぐらいのことで

あった。ところがある時、病気になった松下さんの代わりに翻訳をお願いした。

とどいた訳文を見て、思わず目をみはった。ご主人に負けず劣らず立派な訳文

なのである。恭子さんは帰国後、友子さんのモスクワ生活を描いた『子供のモス

クワ』を出版している。」

 ずいぶん昔に松下さんのことを話題としたことがありましたが、2008年には

この中公文庫は刊行になっていたのですが、そのときはまったくノーマークで

ありました。

vzf12576.hatenablog.com 1993年11月 この中公新書を書き上げたときには、NHKウラジオストック

支局立ち上げに助っ人で参加することになり、70歳目前にモスクワから移住

して仕事につくことになったとのことです。

  ちょうど、今の当方と同じような年格好でありまして、あれこれと励まさ

れることであります。