ブッカー賞ですか 2

 昨日に続いてD・ロッジさんの自伝から、ブッカー賞に関するところを紹介

です。ロッジさんはブッカー賞が一番勢いのあった1980年代に二度最終候補と

なって、1989年には選考委員長となるのでありますからして。

 日本の文学賞でも選評が公開されるものがありますが、どのような過程を経

て、その作品が選出されたのかということがよくわからない文学賞のほうが多

いのかもしれません。

 その意味からもロッジさんが書くところのブッカー賞の楽屋ばなしには興味を

ひかれることです。

作家の運:デイヴィッド・ロッジ自伝

作家の運:デイヴィッド・ロッジ自伝

 

  ロッジさんは、作品が最終候補になってどきどきするよりも、選考委員長を

するほうが、ずっとたいへんと書いています。

「わたしはブッカー賞の運営委員長マーティン・ゴフからの電話を受けた。彼は、

今年のブッカー賞の選考委員長になってくれないかと言った。それは、さほど驚

くようなことではなかった。・・・選考委員になると、百冊以上の小説を読むか、

そのうちから自信をもって何冊か外した残りの小説を読むかし、最良の作品を再

読するのを意味することを、わたしは知っていた。けれども、それは、いつかは

経験したいと思っていた面白い経験になるだろうと思った。」

 ブッカー賞の選考委員になるのは、名誉なことであるということが、この書き

方よりもわかることです。先日に記しましたように、選考委員は毎年かわるわけ

ですから、選考委員も試されることになりです。

「春から夏にかけ、ブッカー賞用の本を読むことに、時間が益々取られるように

なった。本は、ジフィーバッグに入れられて、ほとんど毎日家に届いた。」

 このようにして読み込んだ上で、5人の選考委員が候補作を持ち寄って絞込ん

でいくことになります。6月に47点の小説リストを作り、9月初めの会合では

これを17点までに減らし、9月の終わりには最終候補作6点を選んで、その中

から10月末に受賞作を選出するのだそうです。

 この年の結果は、以下のとおりでありますが、この最終候補作に絞られるま

でのやりとりが、この本には記されていまして、これがとても興味深いのです。

最終候補の選出には激論がかわされたのだそうですが、受賞作を決定するのは

思いのほか簡単であったそうです。

「1989年のブッカー賞を決めるために10月26日に開かれた最後の会合は、最終

候補作の会合での意見の激しい衝突のあとでは拍子抜けだった。わたしたちは

授賞パーティの前の午後、ホテルに集まり、話し合いは一時間もかからなかった。

わたしたちの誰もが受賞作として『日の名残り』を選んだ。一人だけが「恋の闇

愛の光」を推したが、多数の判断を潔く受け入れた。そういうわけで、結局わた

しがまえまえから受賞するだろうと見なしていた作品で意見が一致した。」

 このときカズオ・イシグロさんは35歳でありますか、さすがに特別感がありで

すね。

1989年カズオ・イシグロ(『日の名残り土屋政雄訳)
最終候補作:
マーガレット・アトウッド Cat's Eye
ジョン・バンヴィル    The Book of Evidence
シビル・ベッドフォード  Jigsaw
ジェイムズ・ケルマン   A Disaffection
ローズ・トレメイン   (「恋の闇 愛の光」)