どこの図書館であるかな

 昨日の今日という話題であります。

 本日の出先に、昨日に届いた「本の雑誌」を持参して、友人に見せることに

なりです。

本の雑誌450号2020年12月号

本の雑誌450号2020年12月号

 

  しばらくみたあとで、まさにこの雑誌で話題となっている本を、拾ってきた

といって見せてくれました。ななんと、これが廃棄本となっていたか。

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 新潮社からでている洲之内徹「絵の中の散歩」でありますよ。これが除籍され

ていたのか、複本であってその重複もので傷んでいるものが廃棄されたのかなと

思ったら、その図書館から「絵のなかの散歩」は姿を消したとのことです。

そんなことってありかよ。洲之内徹「気まぐれ美術館」シリーズは図書館の基本

図書でありましょうよ。

 ということで、昨日には「本の雑誌」連載の岡崎武志さんの文章で「松本竣介

の描く東京」というのを読んで、本日にはそこで話題としている洲之内徹さんの

「絵のなかの散歩」から「松本竣介ニコライ堂』」を読むことになりです。

 洲之内徹さんの文章は、すっと頭にはいってこないところがあるのですが、そ

れも魅力の一つでしょう。なにせ、洲之内さんの生き方は思想的にも、個人的に

も一筋縄ではいかないものでありますし、骨っぽい人ですからね。

 本日読んでいたところから、松本竣介の人となりを伝えるところをつまんで引

用であります。

松本竣介を抵抗の画家というとき、必ず彼の『生きてゐる画家』という文章が

引き合いに出される。その文章は昭和16年の1月号の『みずゑ』に載った『国防

国家と美術』という座談会に対する反論として書かれたもので、だからほんとう

は、その座談会といっしょに読むほうが、いろいろのことがよくわかって面白い。

・・『生きてゐる画家」のほうは全文が平凡社版の『松本竣介画集』の巻末に

収録されているが、彼がこんな頭に来るような座談会を読みながらちっとも興奮

せず、冷静に、堂々と正論を展開しているのには感心させられる。狂信的なホラ

吹きや幇間どもの言うことをひとつひとつ真面目にとりあげて、律儀すぎるほど

律儀に応対している。もっとも、幇間だろうと大風呂敷だろうと、権力に結びつ

き、権力の一部を構成している彼等の気紛れな放言が、実際に現実の方向を決定

するような時代だったのだから、真剣に相手にならざるを得なかったのは当然か

もしれない。それに、彼等を笑ったり揶揄したりするのはいちばん危険だったろ

うということは、私などにもよくわかる。」

 文中で「幇間」とあるのは、「みずゑ」の座談会で陸軍省情報部員の少佐など

と一緒に参加している批評家 荒城季夫さんのことをさしています。

いまは、このような人がいたことも知られていないのですが、幇間的な役割を

果たしている文化人さんは、今も盛んに活躍中でありまして、その人たちは、

何十年か経過したら、すっかりと忘れられて、思い出されるのは「幇間」文化人

としてなのでしょうか。

 戦前に左翼活動に参加して拘束され、戦中には軍の諜報活動に従事することに

なる洲之内さんですが、権力に対して幇間的な生き方はしなかったということに

なります。

 このような時代になっているから、洲之内さんのような本は読んでほしくない

ので徐々に廃棄にまわしているなんてことはないよな。