勲章が欲しい人、賞の欲しがる人たちは、自分が亡くなったら、新聞はどの
ように報じてくれるだろうかと気がかりに思ったりすることがあるようです。
そういうのに惑わされるのが嫌な人は、亡くなったことをずっと伏せるとい
うこともあったようです。当方が知る有名な例としては歴史学者の上原専録さん
がいますが、著名な方でありましたのに、亡くなったことが表にでたのは、三年
半もたってからでありました。
国葬に準じるような葬儀で送られる人もいれば、著名であってもひっそりと亡
くなる方もありです。
昨日に出先で新聞を見ていましたら、訃報欄に鬼海弘雄さんの名前がありまし
た。当方が自宅で購読の全国紙ではみかけませんでしたので、その新聞で初めて
鬼海さんが亡くなったことを知りました。
当方が購読の全国紙に掲載されていなかったのは、締切の関係であろうかと、
それじゃ一日遅れででるのかなと思っておりましたら、本日の新聞にもでており
ませんでした。おいおい大丈夫か朝日新聞。(あちこちから石つぶてのとんでくる
新聞でありますが、鬼海さんが亡くなったことは、掲載に値しないと思ったか、
ひどく理解に苦しむことであります。
追記 このように記してから山鼻村様よりコメントをいただき朝日新聞20日朝刊
に掲載ありと教えていただきました。改めてみましたら、たしかにあって、これを
どうして見落とししたものか。何度か見てもなおですから、そう思い込んでしまっ
たのでしょう。)
他紙にはのっているわけですから、鬼海さんサイドが掲載を望まなかったわけで
はないでしょう。
鬼海弘雄さんは、もちろん写真家であります。代表作は「ペルソナ」という作品
集でしょうか。
元版の「ペルソナ」は購入することなく、図書館から借りて目にすることが
できました。それから何年もたって、この「ペルソナ」は鬼海さんの文章とあわ
せてちくま文庫に収録されることになり、その時に鬼海さんのことをぐだぐだと
記しておりました。そのほかにも写真雑誌の編集者であった西井一夫さんにから
めて鬼海さんのことを話題としていました。
vzf12576.hatenablog.com 当方は残念ながら鬼海さんの写真展に足を運んだことがありません。たぶん、
これまで一番足を運ぶ可能性があったのは、昨年の秋のことでしょうか。
ちょうど関西へといっているときに奈良市の写真美術館で「鬼海弘雄PERSONA
最終章」という展示をやっていて、オリジナルプリントを見る、めったにない
機会なのでいってみたいと思ったのですが、結局は時間がとれずに断念してし
まいました。やはり、こうした展示は一期一会でありまして、そういう時には
無理してでもいっておくべきと改めて感じることであります。
鬼海さんが定点観測のようにしていた浅草寺の写真で、もっとも印象に残るの
は、「たくさんの衣装を持ったお姐さん」として紹介される女性でありまして、
この方の写真は「ちくま」の表紙を飾ったのですが、この方については「一番
多く写真をとらせてもらった人」として、鬼海さんの「誰をも少し好きになる日」
で一章をさいています。
今ころ、鬼海さんは被写体であったお姐さんと久しぶりの再会をしているで
ありましょうか。
鬼海さんのyoutubeには、「お姐さんシリーズ」が動画であがっていまして、
これでも見ながら、お二人を偲ぶことといたしましょうぞ。