最近はインターネットのおかげで、その昔でありましたら、決して目に
することのできなかった文書、画像、動画などが、自宅にいて、ちょっと
いけない海外のサイトに接続しましたらディスプレイに表示されます。
あまりにもあっけもないことでありまして、先人たちの苦労はなんであっ
たのだろうと思います。しかしなんとなく手に届きそうで届かないというこ
とで、想像することを楽しむ人たちもいることであります。
若いミュージシャンのあいみょんさんは、TV番組にでて官能小説を読んで
曲つくりの参考にしていると言っていましたが、その昔であれば一線を越え
た官能小説はマニア向けの地下出版でしか可能でなかったでありましょう。
昭和中期までにわいせつ文書ということで摘発された文書は、今はその
レッテルははずれていないようでありますが、それでもそうした本はなかな
か簡単に読むことはできないようです。
当方の頭には「四畳半襖の下張」があるのですが、これを読んで劣情を催す
方というのは、相当に明治以前の文章を読み込んでいる人となりますね。
この作品は、荷風作というのがもっぱらでありますが、マニア向けの小説など
を買いていた作家さんには、表は学校の教師だけど、もう一方では地下出版
の小説家であるという人がいたと、小田光雄さんが紹介しています。
有名なところでは、団鬼六さんも学校の教師をしながら、そのような小説を
書いていましたね。
小田さんは、次のような人を紹介しています。
「日輪閣の『秘籍 江戸文学選』の監修者にして校注者の山路閑古は、
ポルノグラフィ出版人脈の中にあっても、共立女子大教授の肩書ゆえか、
岩波新書の『古川柳』や筑摩叢書『古川柳名句選』が出され、小出版社に
集った人々が多い中ではよく知られているほうだろう。・・・
この山路が『発禁本』(『別冊太陽』)で『幻の趣味人・山路閑古』と
して立項され、『茨の垣』『糸遊』『風流賢愚経』などのポルノグラフィの
著者だったと書かれている。それは昭和57年77歳で没し、九年目になって
明かされた事実で、本名は萩原時夫とも記されている。どのようにして仮面
を解かれたのかは不明だが」
裏と表のイメージが離れていればいるほど、スノッブには受けるのであり
ますが、そういうのはあまり他言できないことになりますね。