雨がやんだら

 このところずっと雨模様の日が続いています。昨日の午後から雨となり

本日の午前いっぱい雨が続きです。これでは草取りもできませぬ。(雨合

羽を着用すればできないことはないのですが、そこまでしてやるかです。)

芝もかなり伸びていて、刈らなくてはいけないのですが、これも水分を

いっぱいに含んでいて、これじゃ芝刈り機もつかえませんです。

 雨が降っていたらできないのは散歩も同様でありまして、こちらは雨が

あがりさえしたら出かけることができます。本日は朝から何度も外にでて

降りを確認していたのですが、やっとこさで10時くらいには降りが気に

ならなくなりましたので、歩きにでることになりです。同じ思いの人が

多かったようで、途中でいつもは会うことのない知人にもすれ違いです。

 雨があがるのを待つ間は、笙野頼子さんの「幽界森娘異聞」を読むこ

とになりです。

 金井美恵子さんは、今となっては偉すぎてちょっと近づきにくいという

人には、笙野さんはいかがでしょうかと思ったりですね。どちらもすこし

気難しくて、辛口で、猫好きであります。

 笙野さんの語りの楽しさは、こんな形です。(楽しく思わない人は相性

がよろしくないかな。)

「ふう、やっと出せた。実は第一回からここずーっと引用したかったの。

時間あった時、よく春になると私は鯛と筍の押し寿司を作っていた。料理

の本じゃなくって森娘の文の『お芳さん』のあたりを読みながらだけど。

それは森第一回結婚の時の舅の内縁の得意料理だった。でもこしらえても

こしらえてもどうやっても、なんか私は食物らしい様子にさえ作る事が

未だに出来ないでいる。で、出来上がると森娘のそこの描写を読みながら

食べる。いいの、卵焼くだけだって森料理にはなったし。なんたって彼女

のもの尽くし押えつつ一点、越えております。卵が鳥の肛門から出て来る

性交関連商品だという事を、もひとつ判ってないせいもあるが。」

 森娘の作品から三行の引用したあとに、続く文章であります。引用文を

読んでも、どうしてこれに続くのかわからないところもあるのですが、

話はあちこちにとんでいってしまうことになりです。まったく唐突に他の

話題が入りこんできたりです。

 そっちの話題に興味が引かれたりすると、そのことをしばし考えること

になりです。

森茉莉のお葬式に行きたかったけれど行かなかった。会ったこともない

イ・ヤンジのお葬式に弔電を打ったのは、『あんた作家だったの』と言わ

れてた頃なのに作品を読んで、影響をうけたかなと彼女が言ったと、当時

の『群像』編集長から聞いていた事と、それ以前に自分もイ・ヤンジの

事を認めていたから。『認めてる』、というのは同世代の言い方。でも

八十四の彼女に弔電なんて。私が子供だった頃から作家だった。」

 思いがけないところにイ・ヤンジ(李良枝)さんの名前が登場します。

これでいくと、イ・ヤンジさんと森娘は同じころに亡くなったということ

を知りました。

幽界森娘異聞 (講談社文庫)

幽界森娘異聞 (講談社文庫)