ラジオ時代の人か

 先月に弘田三枝子さんが亡くなりまして、その時のネットのニュースなど

をみましたら、山下達郎さんとか桑田佳祐さんからリスペクトされていたと

の記載がありました。

 弘田三枝子さんは子どもの頃から進駐軍のキャンプで歌っていたとありま

す。日本のジャズ系の人たちのほとんどは進駐軍のキャンプのクラブなどで

演奏をして鍛えられたのでありました。大人も子どももですが、親が演奏家

で、子どもは小さい頃からキャンプで歌っていたなんて、珍しい話ではあり

ませんでした。

 誰でありましたか伊東ゆかりさんかが話をしていましたが、小学生の頃に

キャンプで「ミスティ」を歌っていたのですからねということで、極東に

進駐した兵隊たちは幼い女の子が歌う「ミスティ」をおもしろがったので

ありましょう。

 その頃に弘田三枝子さんがキャンプでどのような歌をうたっていたのかわ

かりませんが、小さなときから、米国人の前で歌っていたのですね。こうし

て鍛えられたのですから、弘田さんの歌う米国のポップスは、本場の雰囲気

がしたのであります。

 弘田さんのレコードデビューは1961年で、当方は小学4年でありますが、

その頃に聞いて好きになりましたです。歌謡曲とはすこし違った流行歌手と

いう印象でした。早熟な山下、桑田少年、竹内まりやさんなどは、この時に

弘田さんの歌に完全にやられたとのことです。

 1961年でありますから、ビートルズが登場する数年前のことです。

 弘田三枝子さんのその時代におけるインパクトはどうすれば伝えられるで

ありましょうかと思っていましたら、BSテレ東が弘田さんの追悼特集を一時

間番組にしましたので、録画して見てみたのですが、これではまったく魅力

が伝わってきませんでした。むしろ、それを見る限りでは、なにがいいのか

わからないという感じになります。

 これはBSテレ東という放送局の音楽映像アーカイブの貧弱さのせいもある

のですが、追悼番組をつくるとすればフジかNHKしかないのでしょうが、

そのどちらもいまさら追悼番組はということでしょう。

 それほどに忘れ去られた存在になっていたということですね。(そういう

当方も弘田三枝子さんが別人のようにイメージチェンジしてからは興味がな

くなったのですが)

 そんなところに、本日のFMプログラムで弘田三枝子さんの楽曲について

極めて尊敬に満ちた紹介がありましたので、これはとても参考になったこと

です。

 紹介していたのは竹内まりやさんで、番組は山下達郎さんの「サンディ・

ソング・ブック」でありました。竹内さんは弘田三枝子さんがカバーした

曲を、最近になってカバーしていたり、弘田さんが竹内さんの曲をカバー

したりと関係が続いていたといってました。

 そういう関係ですから、紹介する曲もとってもうまく選ばれていて、これ

を聞きますと、本当に弘田さんはもっと上手に生きることはできなかったの

かなと思うとともに、ある意味弘田さんはラジオ時代の人であって。ラジオ

番組で追悼されるのは以て瞑すべしでありますね。

 弘田さんは1947年生まれですから15歳の時の歌です。


弘田三枝子 すてきな16才 1962 / Happy Birthday Sweet Sixteen