充実の図書館廃棄本

 あちこちの図書館では収蔵スペースに余裕がなくなっていて、新刊の受け入

れのためには、古い蔵書のうち複数あるものなどを除籍しなくてはいけなく

なっています。当方が利用するまちの図書館もそうでありまして、毎日のよう

に除籍した本が、どうぞお持ちくださいと並んでいます。

 図書館のヘビーユーザーの中には、この除籍本コーナーを楽しみにしている

人がいて、それを目当てに図書館が開くのを待つ人もいるようです。

そうしたヘビーユーザーから、こんなのがありましたわと回してもらったのが、

次のものであります。

  雑誌「ポパイ」の創刊は1976年6月に、当時の平凡出版からでて、翌年3月

から月二回の形になったとのことです。当時の男性雑誌といえば「平凡パンチ

などはあったのですが、女性のヌードを掲載しない雑誌というのは、あまり

なかったか、これがはじめてだったのかな。

 当方はすでに就職をしていましたし、田舎育ちで野暮ったい人間でありまし

たので「ポパイ」を手にすることもなしでした。むしろそれからあとにでた

「ブルータス」のほうが、当方の趣味にあった特集を組んでいたように思い

ます。

 とはいうものの、今も続いている「ブルータス」よりも、消えてしまった

「ポパイ」のほうが、当時の若い人にはインパクトがありましたでしょう。

本の作り方も、外部のスタッフ・ライター(というかそのジャンルに強い素人

さん)が参画するという斬新なものでした。

 この本の冒頭のところで赤田さん(1961年生まれ)は、「『ポパイ』の黄金

時代を体験するには創刊2号から50号を読めば良い」と書いて、それをこの本

の結論としています。

 赤田さんの個人的な「ポパイ」体験についてです。

「高校でも『ポパイ』は評判になっていきました。立教高校という、中小企業

の社長の息子など、お坊ちゃん系の集まる私立の男子校だったことも関係ある

のでしょうが、発売日には、クラスで4、5人が、休み時間に熱心に『ポパイ』

を読んでいたことが思い出されます。校庭では、青空の下、フリスビーが円を

描いていましたし、リーバイスの501やオシュコシュのダンガリーシャツ

ついて熱く語るポパイ小僧と言うべき遊び人も、実際いました。

初期の『ポパイ』には、一種独特のにおいと質感がありました。」

 「ポパイ」の黄金時代を築いた木滑編集長は立教のOBでありまして、この

雑誌の雰囲気というのは、赤田さんがいうところの東京の「お坊ちゃん系私立

男子校」のものでありますか。

 それだもの当方には縁がないさね。

 当時の立教OBといえば細野晴臣さん、女性でいえば荒井由実さんがいるの

ですが、70年代初めころに「はっぴいえんど」になじめなかったのも、こう

いう背景を感じとったからでしょうか。