本日からお盆期間となります。昨日に話題とした坪内祐三さんは、今年が
初盆でありまして、親族のところに降りてくるついでに愛読者のところに立ち
寄るというのもありでしょう。
当方は迎え火ならぬブログで誘うことにいたしましょうぞ。
亡くなってすぐから、坪内さんの追悼文集などがでて、当方など坪内さんは
そんなに愛されていたのかと思ったものですが、やはり坪内さんの不在は淋し
いものでありまして、先日に「本の雑誌」が届いたのですが、これに坪内さん
のコラムがありませんと、ほんと目玉が欠けたように思えることです。
坪内さんの本を見ていましたら、次のような文章がありです。
「ところで、文学者には死ぬタイミングというものがある。
いかに長寿社会になったとはいえ、先に紹介した庄野潤三や安岡章太郎や
阿川弘之のように九十歳近くあるいはそれ以上に生きると追悼号は薄い物に
なる。」
この文章は、「『群像』で辿る<追悼>の文学史」というもので、「群像」
の2016年10月号に掲載のものとなりです。
文芸雑誌は、作家などが亡くなりましたら追悼文を掲載しますが、作家が
あまり長生きしすぎると、追悼文を寄せる人がいなくなるということのよう
ですが、「群像」での井伏鱒二さんの追悼特集は二十ページほどで、埴谷雄高
さんは五十ページということですが、この違いは作家としての重要性というこ
とよりも亡くなった年齢によるもののようです。
この文章のなかで、目を惹いたくだりです。
「一番意味ある『群像』の追悼号は平成十一年十月号、つまり江藤淳、
やはり、この時、何かが終わったのだ。」
当方は、江藤淳さんが亡くなったことには、何の感慨も覚えずでありました。
辻邦生さんは、そこそこ読んでおりましたので、これからは新作を読むことは
できないのか、「フーシェ革命歴」はどうなるのかと思いました。後藤明生
さんは、亡くなってからのほうが良く読むようになりました。
平成11年ということは、そろそろ亡くなって20年でありますからして、
坪内さんも20年たっても読まれ続けるでしょうか。
当方は20年後も、坪内さんを読んでいるだろうと思うのですが、さてどうで
ありましょう。