勝手に一日延長する

 図書館が再開した日に借りた本は、本日に期限を迎えて返却することに

なりですが、当然のことさっぱり読むことができていないのであります。

 ちょうど借りている本が新聞書評にとりあげられているせいもありまし

て、勝手に一日延長をかけて、あわてて手にすることになりです。 

建築の東京

建築の東京

 

 これに収録の文章は、雑誌「みすず」に連載のもので、そのときに何度

か拙ブログで話題にしたことがありました。

 この本の目次を見て感じるのは、「保守化する東京の景観」とあること

からもわかるように、都市景観にも保守化が及んでいるということす。

日本の若手の建築家も、東京を舞台に先進的なプロジェクトは展開するこ

とができずで、地方都市で行うか、それとも海外のコンペに活路を見出す

かとありました。

 当方などは、東京の日本橋の上を走っている高速道路を醜いものと思っ

てしますのですが、視点を変えてみれば、「地下鉄の銀座線、日本橋川

そして橋と首都高というふうに各時代の物流を担うインフラがこれほど

重層化している場所は世界的にもめずらしく、だからこそ首都高はクール

だ」という人がいるのですね。

 当方は日本橋の上に蓋をしたようで開放感がないなとおもうのですが、

それについても、橋の真上はすっきりするが、その周辺はビルが林立で

はないかと記しています。

 このような視点は、国立競技場が計画された場所にも共通でありまし

て、葬られた計画は都市景観を変えるインパクトを持ったのではないか

ということも書かれていました。

 この日本橋首都高地下化プロジェクトに関しての記述です。

「正直、怖いものみたさもなくはないのだが、ほんとうにこれは巨額を

投じてでも遂行すべきプロジェクトなのだろうか。おそらく可視化され

にくい複雑な地下工事において新しい技術は投入されると思われるが、

誰の目にもふれる地上の景観に新しさは何もない。むかしはよかったと

いう後ろ向きの意識である。しかもその過去さえも精密さを持たず、

歴史修正主義的な景観だ。一方で、かって首都高を建設した工事は

当時世界でも先端的なプロジェクトだったにもかかわらずそのときの

技術者へのリスペクトはない。」

 なるほどですね。こういうふうにあるのをみますと、当方の景観に

対する感性も保守的であると思い知らされることです。

 次のようにもありました。

東京都知事が無電柱化を勧めているように日本の保守的な景観論に

おいて電柱は悪者である。」

 そうだよな、皆がランプやろうそくで暮らしていたときには、電柱

がたって、電線がひかれるというのは、文明そのものであったのです

ね。写真に電線が映り込むというのは、文明社会であるという時代が

ありました。これがなくなったからといって都市景観が良くなったと

いえるのかどうであるということは、もちょっと考えてみなくては

ですね。