本日は朝からお天気がよろしでありまして、午後には最高気温が25度
まであがりました。このところ木々の緑も濃くなりまして、ほんと気分は
初夏であります。もちろんそうは問屋がおろさずで、これからまた寒い日
くるのでありますが。
渡辺淳一の小説「リラ冷え」でありますが、これはどなたかの短歌に
あったものとのことですが、この時期はライラックの花が咲くことにな
ります。当方のところで一本あるライラックの木にいくつか花がついてい
ます。夕方にすこし薄暗くなってからの写真ですが、この時間帯の気温
が本日の最高でありました。
お天気が良かったので、午前に庭仕事と散歩を済ませてしまい、午後は
横になって本を読むことになりです。
本は昨日に引き続きで「椿井文書」を読んでいました。この本が取り上げ
ているのは、関西の地方に残っている文書でありまして、そのことに関して
はまるで疎いのでありますが、偽文書が書かれた背景とか、それを必要とし
た人たちの存在ということについては、時代と地域をこえて共通した点が
ありまして、人間というのは、ほんとうに変わらないことと思うのでありま
す。これで取り上げられているのは日本でのことですが、このことは世界共
通でのことでしょう。
本日に読んでいて、うーむと思ったくだりを引用です。
「三浦蘭阪には同好の仲間も多かったため、彼の『五畿内志』批判が全く
広まらなかったわけではない。事実、『雄花冊子』を見て類本を懇望する
者もいた。にもかかわらず、三浦蘭阪の批判が効果をあげなかったのは、
『五畿内志』そのものの影響力が大きかったことに加え、地誌を発行した
り石碑を建立したりするなどして、並河誠所に追随する者が後を絶たな
かったためである。・・・・・
『五畿内志』を肯定することで、新たな由緒を主張して実利を生むことが
できるが、否定することでは何も生まれない。
それどころか、否定をすると人間関係までも崩しかねない。」
ちょっと前までよく言われていた町おこしで、なにかないかということ
で、あいまいな由来などによりかかったりしたところがあったような、
ないようなでありまして、「地誌を発行したり、石碑を建立したり」とい
うところが既視感であります。