コロナとの日々 2

 すこし田舎暮らしで、初老の不要不急人にとっては、コロナとの日々はほとんど

外部で起こっている話であります。外部からコロナが押し寄せてきたら、当方は

ひとたまりもないのかな。かといって、となり町のナンバープレートをつけている車

のフロントガラスに、コロナ持ち込むなと張り紙するなんてこともなしです。

 そんなことを思いつつ、配達された新聞を手にしてみることです。

 本日の新聞には津野海太郎さんの「コロナ禍こそ、気楽に本を」という寄稿文

が掲載されていました。

「私の記憶するかぎりでいえば、東京や近辺の町がとつぜん静かになったことが、

過去に三度ある。」と津野さんは書いています。最初は1973年のオイルショック

二度目は1989年、そして今回ですが、今回は過去二回とすこし感じるものが違う

とのことです。

「しかし、今回の静けさには独自の息苦しさがつきまとう。かって町に静けさをもた

らしたのが外光や音のコントールだったのに対して、いまの町の静けさが、そこに

生きる個々人に『自粛』を つまりはじぶんのココロとカラダのコントロールを、

つよく求める性質のものだからだろう。」

 「自粛要請」というのは、思ったよりもずっと精神的に厳しいものでありますね。

そう思っていましたら、となりのページには「それぞれの『要と急』」ということで、

この時代にやむなく自粛している酒場詩人、沖縄の古書店主、それにパチンコで

生きる力を取り戻すことができたエッセイストさんが寄稿していました。

 この期間は、とくにパチンコ愛好者には逆風がふきまくりでありまして、こんな

ときに火中の栗拾うような文章を寄せる気丈な人はだれかですね。

「いまパチンコは『不要不急』の代表格です。でも当時を振り返れば、パチンコは

あの日々の自分にこそ『必要緊急』でした。そんな思いでテレビの行列を見てい

ると、パチンコで救われている人がこの瞬間にもいるのでは、と感じます。」

 鬱で暗い穴に沈みそうになっていたのが、パチンコのおかげで救われたという

経験からでた発言であります。なかなかレアなことですが、こういうことってあるの

だろうなと思ったことです。

 この方は、著作が多くあって、そのなかでもパチンコとのことを書いていました。

「パチンコをやっていると人と話す必要がありません。打っていると頭の中がカラッ

ポになっていき、嫌なことも全部忘れてしまいます。しかも勝てばそれなりに充実感

があります。

 そのうち毎日パチンコ店に通うようになり、パチンコ依存症のようになっていま

した。パチンコはそれまでやったことはなかったのですが、わずか半年でパチンコ

を打っている人の気持がわかるようになり『パチンコ必勝ガイド』という雑誌を

出すことになりました。それが売れて忙しくなっていくにつれ、うつも治っていきまし

た。パチンコに救われたような気持ちです。」

 こう書いているのは、末井昭さんで、末井さんの書くものはなかなか深いのです

よ。本日に文章を目にしてから、買ってあった本を手にすることになりです。

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