差別するのは当然か

 自分の思うところを、そのまま口にして何が悪いのかというのが、近年の

ツイートやコメント欄で見られる発言であります。こういうのは、ずっと昔から

あったのでしょうが、インターネット社会になって、その昔よりもそのような

発言が人の目にふれやすくやっているようです。

 そうしたツイートやコメントから心と身体を守るためには、そういうのには

アクセスしなければよろしいのですが、国家の指導者などがツイートしたり

しますと、いやでも見てしまったりして、へこむことであります。

 最近のコロナウィルスのような感染症は、いまのところ治療薬もワクチンも

ないのでありますので、それに向き合うというのは、昔の人たちと同じような

気持ちになってしまうことです。

 最近の思ったことをそのまま口にして何が悪いというのは、現代社会で

建前やきれいごとを優先せざるを得ない状況への、祖先帰りなのでしょうね。

民主化なんて弱者をのさばらせて、一生懸命働いている自分よりも生活保護

をもらっている人たちのほうが、楽して良い生活をしているのは、許せないと

いうような。

 または自粛がいわれているのに自粛せずにコロナに感染した人たちは、

自業自得であって、ネットにさらされるべきであるというような意見などなど。

 このような時代でありますので、先日に図書館から借りてきた松岡弘之さん

の「ハンセン病」についての本を手にするというのは、意味のあることでありま

すね。この本は、ずっと差別を受けていた人についての本であります。

ハンセン病療養所と自治の歴史

ハンセン病療養所と自治の歴史

  • 作者:松岡 弘之
  • 発売日: 2020/02/13
  • メディア: 単行本
 

  昨日に読んでいた「鈴木重雄の社会復帰」というくだりを見ていて、この

鈴木さんが社会復帰を果たして、後年に出身地に戻り社会福祉施設を立ち

上げたということを知りました。

 ハンセン病の回復者でありましても、故郷に戻ることができたという人は

まれなことではなかったかと思いますが、それはこれからの話です。

この鈴木重雄さんは高学歴の当時のエリートさんでありまして、そのことが

回復してから故郷に受け入れられた背景にあるようです。

 その彼のことを、かっての病歴から差別する故郷の人たちはもちろんいた

のですが、それよりも彼を苦しめたのは、彼が晩年に取り組んだ知的しょうがい

のある人たちのための施設作りにあたって、建設予定地区の人たちからの

反対運動であったとのことです。時代は1976年ころの話であります。

 それから半世紀近くもなりますが、いまだにある種の施設を建設するとき

には地域から猛反発を受けて、計画が頓挫したりすることがあります。

それは保育所だったり、児童相談所だったり、障害のある人の生活の場で

あったりしますが、人の気持というのは、知恵で制御しなくては、野蛮なもので

あるようです。