「可能性の山」か

 昨日の図書館で背表紙のタイトルにひかれて借りたのが、次のもので

ありました。

アンチ整理術

アンチ整理術

 

 整理整頓をすすめる本は多くありますが、「アンチ」というのはうれしい

ではありませんか。建築学科を卒業して、なんとなくマックで設計図面を

作成しているようなイメージがありますが、専門は建築材料のコンクリート

数値解析とのことで、これはまったくデザインの世界ではないですね。

 そもそも自宅の庭にミニ鉄道を敷設しようという工作派ですから、あれ

これとがらくたに囲まれていないはずがなしです。今回の表紙の写真から

してもペンチとかニッパとかいう似たような工具がいっぱい写っていまして、

これを見たら、なんで整理して、もっとすっきりとさせないのかと言いたくな

る人もいるでしょうね。

 本のカバーには、「散らかっても、作業が進めば、それが正解だろう」と

ありますした。ほんと、他の人からみれば散らかっているように見えても、

散らかしている本人は、どこに何があるかわかっているのですよね。

 森さんは、次のように書いています。

「工作室や書斎、ものに溢れて散らかっている様とは、僕にいわせれば

『可能性の山』である。ガラクタもすべて『宝の山』だ。捨てるなんて考えは

これっぽっちも湧かない。」

 当方の机の横に積まれている本やコピーなどははたして「可能性の山」

ということができるのでしょうか。「将来に役立つ可能性」は否定できない

のですがね。