芝園団地に住んでいました

 調べ物をしようと思って図書館に立ち寄りました。

 そう思いながら新刊の棚を見ていましたら、ほかほかの湯気が

たっている本を発見です。この本を、私が借りなくて誰が借りるの

かと、すぐにカウンターへともっていって手続きをしました。

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大島隆著 明石書店

 著者は朝日新聞の記者さんで米国から戻ってから、外国人が

住民の半数を超えることになった芝園団地に住み着いて、自治

の活動にも参加しながら、ここでの暮らしをレポートしています。

 ここ数年、朝日新聞紙上で芝園団地の記事を見ることがあって、

今から三十数年前に、ここに住んでいたものとして、懐かしい思

いで、その記事を見ることになりました。

 芝園団地は新幹線の車両製造をしていた工場のあとに、当時の

日本住宅公団が大きぼな団地を造りました。団地の完成は1978年

で、当方が転勤で借り上げ社宅となったこの団地の一室に住まう

ようになったのは1986年のことでありました。団地もできてか

ら10年弱、考えようによってはこの団地が一番良かったときかも

しれません。

 狭い敷地に14階(?)建ての共同住宅が立ち並んで、趣は異な

るものの軍艦島のようなものであります。軍艦島は炭鉱の閉山に

伴い無人化となったのですが、芝園団地は居住者数はいくらか

減ったと思われますが、いまだ健在なのは喜ばしい限りといい

たいところですが、以前からの団地居住者の高齢化と、特に

中国からの仕事に来ている人たちが多く住んでいるということ

で有名になっています。

 当方が住んでいたころは、こんなにも団地は賑やかだったと

いうのは、芝園小学校の運動会の様子を見てもらえばわかります

でしょう。(この運動会は1986年9月28日のことです。)

この小学校は、2008年に閉校になったとのことです。

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 写真の左にあるのが小学校の建物で、たしか3階にあたるところに

屋内体育館がありました。ほんと子どもが一杯でした。

 この本を読んでいましたら、団地内のサークルとして活動をして

いる「芝園団地テニスクラブ」のことが話題となって、その代表の

方などにインタビューをしているところを目にしました。

 このテニスクラブというのは、当方のこどもの同級生のママが

参加しているものではないかと、連絡をとってみましたら、まさに

そのとおりでありまして、代表さんもうつっているクラブメンバーの

写真が送られてきました。

 今は、芝園団地を離れて、南浦和に住んでいるその方は、テニス

の練習が終わったりしたときに、利用した喫茶店「のんのん」が

閉店してといってました。

 その連絡を受けた時には、まだそのページまでたどり着いていな

かったのですが、「三十年以上にわたって芝園団地住民に愛されてき

た喫茶店『のんのん』だ。・・『のんのん』の閉店は、団地の中の

コミュニティのつながりが、さらに弱まることを意味する。」とあ

りました。

 この本にもありますが、団地の中にはお茶を飲みながら話をする場

がなくなって、テニスクラブの集まりも蕨駅近くまでいかなくては

ならないとのことでした。

 著者の大島さんは、この本のあとがきを書いている2019年8月には

いまだ芝園団地に住んでいて、住んで3年目にはいるとありました。

 このあと芝園団地は、どのようになっていくのかです。